罪とは何か


 この頃、両義性とか二律背反とかの言葉がしきりに思い浮かぶ。

 若い頃にも、そんな頃があって、しかし、あの頃は、あれかこれか、という問題として考えていた。

 しかし、今、考えているのは、あれもこれも選べないような両義性や二律背反。

 例えば、マタイ13:9にある「耳のある者は聞きなさい」というイエスの言葉。
 そして、その少し後の14b節でイザヤの預言を引用して「あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず」云々と言っている。

 そこにいるのは、群衆のために聞かれることを願っていながら、絶対に聞かれないどころか、十字架に追い上げられることを知っていた、ガリラヤからやって来た青年イエス。

 和解することのない対立を生き、殺されていく油注がれた王、キリスト。

 そして、その対立の場はこの地上であり、神の言葉が受肉したこの「身体」にある。

 約束の地でありながらマモンの神に支配されているエルサレム、裁く者であると同時に許す者である神、死の器であるとともに復活の器でもある身体、滅びと救いが対立しつつ、そこにある。

 聖書のテキストに埋葬された神の言葉と、その背後に隠され、息づいている啓示のように。

 この両義性や二律背反、そこに伏在する矛盾と対立という悲劇から目をそらし、一義的理解に逃避することこそ、罪ではないか。

 そして、キリストに従うとは、そこにある悲劇を想起し、直視しつつ生きることだろう。

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