行商のおばあさんから見る高度経済成長と市場経済


 昭和30年代、私の祖母の家には時々、行商のおばあさんが来ていました。
 祖母の家は、札幌の琴似にあって、お風呂は銭湯、水道は手押しポンプ、そもそも借家!と決して裕福な家ではありませんでしたが、それでも台所には勝手口がありました。
無駄に土地が余っている北海道ならではの作りだったと言うことでしょうが、その勝手口に腰を下ろして、祖母と行商のおばあさんが楽しそうに談笑していたことを覚えています。

 あの、行商のおばあさんは、どんな人だったんでしょうか。

 祖母は、あのおばあさんは石狩の「浜」から来るのだと言っていました。
 おそらく、石狩の漁師さんや魚屋さんで仕入れをし、電車を乗り継いで来て、住宅地の家々を回っていたのだと思います。

 さて、このおばあさんはどのように商品を仕入れ、価格を決めていたのでしょうか。
 おそらく、旬のお奨めや目玉商品を中心に、その日に回るお宅の家族構成や主婦の好み、そこで繰り広げられるおしゃべりと値切り交渉を計算に入れて売り上げの総額を見積もったうえで、一定の利益が上がるように仕入れをしていたのでしょう。
 その意味では、価格の決定はある程度、浜値つまり仕入れ原価に制約されつつ、最終的にはこのおばあさんの裁量によって恣意的に定められていたはずです。
 しかし、ここで私が思い当たるのは、このおばあさんにとっては、商品のお値段は楽しいおしゃべりの大事な要素だったはずだということです。
 もちろん、このおばあさんはおしゃべりを目的に行商に回っていたのではないでしょう。
 しかし、同時にその商売をするためにおしゃべりが大事だったことも否定できません。
 むしろ、人々との交わりがあってはじめて、商売が成立していたのだと思います。
 
 さてここで、この行商のおばあさんを「商人」と一般化して、その機能とは何かを考えてみたいのです。
 もちろん、商人の機能は生産と消費を媒介し、結びつけることにあります。
 しかし、商人にはそれ以上の機能があったはずです。
 祖母が行商人を台所の勝手口に招き入れていたのは、なぜでしょう。
 おしゃべりを楽しみたかったからでしょうか。
 そうではなくて、祖母にとっても商人にとっても、おしゃべりによって構築される人間関係、信頼関係が重要だったのではないか、そのような関係の成立こそが生産と消費の間の力関係を上手に均衡させるという商人の働きを可能にするのであり、その働きによって社会全体を安定させていたのではなかったのか、と思うのです。

 ここで気になる事実は、行商のおばあさんが扱っていたのが、お魚だったということです。

 工業的に大量生産できる商品であるなら、その買い手を暴力的に開拓せざるを得なかったはずです。

 しかし、おばあさんが扱っていたのは、当時も、恐らく、今も海の様子や漁師さんたちの都合で供給量が左右される自然の恵みであり、逆に、累進的に生産量が増加していくような工業製品ではなかったと言うことでしょう。

 一方、私の実家は札幌の月寒というところにありました。
 祖母の家のあった琴似は開拓使や屯田兵の時代からの歴史ある地域でしたが、月寒は高度成長期に生まれた新興住宅地でした。
 札幌の有名な観光地、羊ケ丘展望台から広々とした畑が広がる雄大な風景を見ることができますが、月寒は昭和30年代までは、まさにそのような土地でした(私はその畑でスキーを覚えました)。
 そして、私の実家に行商人が来なかったのは、そのような新興住宅地においては、祖母を取り囲んでいた社会と商人を失って、市場そのものが流動化し始めていたからではないか、と思うのです。
そして、高度経済成長によって、それまで商人によって均衡が図られていた市場が急速に拡大して不安定化し、制御不能な市場経済に社会全体が飲み込まれ始めていたからではないか、と。

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