ポラニーに聞く「分かっちゃいるけどやめられない」

 私たちは皆、原因があって、結果が生まれるという考え方、いわゆる因果律によって社会のなかで生きていくためのルールを学びます。
 だから、その逆、つまり結果をナントカしたかったら、その原因に遡ればナントカなるはずと思い込むのは自然の成り行きです。
 しかし、現実はなかなかそうならないし、むしろ、そんな単純なことで世の中が良くなるなら、とうの昔に理想の社会が実現しているはずです。

昔の流行歌で「分かっちゃいるけどやめられない」と言う歌がありましたが、これなんかは原因が分かっているのに、結果をナントカできないというパターンの典型であり、世の中は長きにわたってこれを繰り返してきているとしか思えません。

 例えば、原発事故という「結果」があり、だったら、原発を止めればいいという「原因」があるが、高い電力消費という次なる「原因」があって、止められない。
 そこで、省電力や代替え電力を推進して「原因」をナントカしようとすると、こんどは政界・産業界・地元経済などの癒着・しがらみというさらなる「原因」が登場した挙げ句、「対案を出せ」と恫喝する始末で、もはや手の施しようがないと言うことになっています。

 身の回りを見回すと、これに似たような話ばかりだなぁと、正直、悲観的な思いでいたところ、K.ポラニー(ポランニーと標記することもあります)の面白い論文を読みました。*
 
 自分なりの理解ですが、ポラニーは、「分かっている」自分と「やめられない」自分は同じ自分の筈だ、と指摘するのです。

 だから、このくらいは大丈夫とか、この辺でほどほどにした方がいいよね、と言う判断や合意形成が可能の筈だ、だって、そうでなかったら、死んでしまうんだから、というわけです。

 そして、社会的な問題についても同様で、一人一人が共同体の中で個人としての責任を果たせるような社会的条件を整えることによって、そうした合意点を動的に形成していくことが出来るはずだ、と言うのです。

 まぁ、日本的な言葉で言うと「折り合わせ」るということだと思うのですが、今の日本でそうしたお互いさまとか、持ちつ持たれつとか、要するに折り合わせる社会的な環境があるのか、という点について考えるべきだと思います。

 では、そういう社会をどのように実現するのか、例えば、数年おきに政権交代する政治構造を作り出すとか、労働法を大幅改正して日本人を会社への隷属から解放するとか、色々と考えられるような気がしますが、そのために自分が出来ることは何なのか、勉強をしながら、考え続けていきたいと思います。

*カール・ポランニー「経済の文明史」ちくま学芸文庫所収に論文「機能的社会理論と社会主義の計算問題」。特に148ページの「当事者間の妥協点を動かすに過ぎない」という言葉に注目していただきたい。なお、トマ・ピケティの「21世紀の資本」も経済計算をベースにしていることにも留意されたい。




経済の文明史 (ちくま学芸文庫)
筑摩書房
カール ポランニー

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト


この記事へのコメント

この記事へのトラックバック