高齢者よ、仕事を辞めよう!

 僕は58才で仕事を辞めて無収入生活に入ったナマケモノです。

 そのような立場から、例えばマタイ19:27のペトロの発言「わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」とはどういうことだったか、ということを、この頃、良く考えるのです。

 ペトロは漁師であったと書いてあります。

 ひょっとすると、彼が漁業権を持ち、船と漁具と一定の資金を持った網元だったとも考えられますが、聖書の他の箇所を読むと、単なる漁撈作業員という理解の方が妥当のように思えます。

 だとすれば、彼は何を「捨てた」と言ったのでしょうか。

 また、マタイ8:14 ではペトロは姑と暮らしていたとあります。

 大変、奥さん思いの親孝行ですが、彼が家族を捨ててイエス様に従ったわけではなかったことがわかります。

 つまり、ペトロが「何もかも捨てて」と言ったときに、彼はこの世の仕事を捨てた、と言っているのです(そして、そこから初めて、最後には命を捨てました)。

 使徒4:37などには全財産を売り払って、それを使徒たちに差し出した信徒達の姿が描かれています。

 しかし、僕としては唯一の財産であるマンションを売り払って、退職金と一緒にその代金を教会に献げるような度胸はありません。

 仮にそんなことをされても、先生や役員会は当惑してしまうでしょう。

 しかし、私に限って言うなら、幸いにして仕事を辞めることは出来ました。

 だから、高齢者のみなさん、60才半ばを過ぎたら、あるいは70代に入ったら思い切って仕事を辞めて、聖書と祈りに日々を献げる生活をしてはどうでしょうか。

 あるいは、若い人たちもいずれ一定の年齢になったら、そういう暮らしが出来るように人生設計をしてはどうでしょうか。

 三浦綾子さんの小説で有名なチイロバ先生こと榎本 保郎先生は、アシュラム運動の普及に努力され、その運動の最中に米国で病を得て亡くなった、とのこと。

 アシュラムとは、私たちにはなじみ深い出家遁世のこと、またはそのために確保された場所のことです。

 僕はチイロバ先生については不勉強な者ですが、彼もこの世の経済生産活動から遠ざかることが、信仰の歩みに大切だと考えていたと思われます。

 高齢者の皆さん、なぜ後進に道を譲らず、いつまでもこの世の価値を追求しているのですか?

 貧しさのゆえならばやむを得ないでしょうが、本当に貧しいのですか?

 水曜日の祈祷会にも出られないほど、皆さんは、貧しいのですか?

 65才以上の失業率は1.8%、15~24才が4.6%、25~34才が3.7%(労働力調査、2017年平均)という傾向が何年も変わらないのは、若い人たちが怠け者だからでしょうか?

 私たち年齢の高い人たちが、お金や財産以上に大事な価値があることを若い人たちに身をもって示さなければいけないのではないですか?

 ペトロに習い、チイロバ先生に習って、信仰に生きる暮らしを始めませんか?

小田原城の花菖蒲


*本当は、教会の月報に掲載して貰おうと書きましたが、さすがに過激すぎるかな、と自己規制しました。


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