頭を冷まして「頭」を冷やす Part1 「資本主義経済」を描写する

 ここではF.ブローデルの「物質文明・経済・資本主義」の示されているモデルを参考にお話を進めてきたいと思います。
 さて、「市場経済」とは、ある品物をA地点からB地点に運ぶ「物流」と、その逆の方向に代金を回収する「金融」の働きの集まりです。
 普通は、物流と金融の働きの両端には商人がいて、その人たちは対等な立場で向き合っています。
 しかし、時を経るにつれて、商人の中から力の強い者が現れて、市場経済に自分の都合の良いルールを押しつけるようになります。
 このようにして「資本主義経済」が「市場経済」から「立ち上がる」または「離床」してきます(注1)・・・まぁ、ムクムクと頭をもたげてくるイメージでしょうか。
 ちなみに、ブローデルは「市場経済」の下には「物質文明」の層があるとしています。
 ブローデルは、「物質文明」を市場経済の向こう側にあって、貧しい、自給自足的な社会をイメージしつつ歴史を読み解く理論モデルを構築していますが、今日の社会に暮らす私たちには、このような理解では実り豊かな理論モデルとは言えないと思います(注2)。
 そこで、ここでは、作業仮説として、釣りをしたり、菜園を作ったり、その収穫で子供と一緒にお料理したり、ケーキを焼いたり、家庭で団らんしたり、という人間的な営み、という定義に置き換えたいと思います。
 さて、F.ブローデルは一番下の層に「物質文明」、その上に「市場経済」、さらにその上に「資本主義経済」、という3階建てで社会を理解することを提唱しました。
 これからのお話を始めるに当たって、この理論モデルに沿って考えていきますが、分かりやすさのために、それぞれ私たちの社会の「足腰」部分、「胴体」部分、「頭」部分と理解していただきたい、と思います。

(注1)マルクスは弁証法的な歴史発展の法則に従って「資本主義経済」が生まれ、やがて、階級闘争を通じて、労働者による計画経済に移行することで消滅すると考えましたが、結果から言うとそのような予測=理論モデルは誤りでした。どこに誤りがあったかというと、歴史が「発展」すると考えたところです。歴史は発展しません。私たちが何千年も前から今日まで、絶えず騙し合い、奪い合い、殺し合って少しも発展してないのに、歴史が勝手に発展するはずはないのです。

(注2)ブローデルの考察の対象とした16世紀から18世紀の歴史理解という観点からは、「物質文明」を自給自足的な世界と考えたことは、しっかりした歴史の調査に基づく、極めて正確な認識です。当時の社会では市場経済のテーブルに乗る製品のうち、分業が発達した社会にから生み出されるような工業生産品の割合は小さく、むしろ自給自足的な社会から供給される穀物や綿や羊毛の原材料、及びそうした社会の手工業産品である各種の布製品が大部分だったからです。従って、ブローデルの3層モデルを今日の社会に適用しようとするとき、工業をどの層に属させるかは、精査を要する問題と言えるでしょう。多分、家内労働や児童労働などに支えられている開発途上国の工業製品は「物質文明」を構成するものとして最下層に位置づけても良いでしょうし、先進国における工業製品は「市場経済」に位置づけて良いでしょう。さらに言うなら、私としては、「物質文明」を市場経済によって、人間であることよりも「消費者」であることを強制されている人たちの世界、「市場経済」を同様に労働という「商品」であることを強制されている人たちの世界と考えるアイディアを抱いていますが、それについては、追ってもう少し丁寧に検討したいと思っています。




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