東神大後援会神奈川地区春の総会に行ってきました(要するに言いたいこと編)

 実は、私の通っている教会ではここ数年、毎週日曜日の礼拝は120名前後の出席者がありました。

 しかし、今年度に入って100名を切ることが多くなっていて、その大きな理由は高齢の教会員がいよいよ礼拝出席が難しくなってきた、ということが理由のようです。

 そこで、私たちとしては車でお宅まで送り迎えしようか、あるいはお宅におたずねして一緒に聖書を読んで、お祈りを出来ないだろうか、と色々考えているものの、例えば送り迎え中の事故や体調変化にどう対応するか、訪問するとしてもご家族の負担になりはしないか、などの懸念もあり、正直、小田原評定状態なのです。

 そういう中で、昨日6月20日は東神大神奈川地区春の総会で、教会の次の担い手を育成する大学をどう支えるか、という会合でした。

 冒頭の礼拝でみ言葉の取次ぎをした鎌倉雪ノ下教会の上野先生について、横浜指路教会の藤掛先生が東神大の同級生が御殿場教会で幼児洗礼を授けたというエピソードを紹介したうえで、伝道と牧会の働きが次の世代に確実に受け継がれていることを実感することができて感慨深いとお話がありました。

 そのあとの実務的なお話の内容は、大学の財政を実質的に支えているのは諸教会の献金であることを前提に、いわゆるランニングコストの部分を支える献金がどのくらい必要で、それ以外に老朽化した施設を建て替えるための献金がどのくらい必要か、ということでした。

 神学生が勉強に集中できる環境を整えるのは大人の側の責任なので、それらのお話をしっかり教会に持ち帰ってお伝えしなければいけない、と思ったのですが、その傍ら、礼拝出席者数の減少などをきっかけにして私たちの教会の関心が高齢者の問題に向きすぎているのではないか、という気がしたのです。

 顰蹙を買いそうな言い方ですが、足腰の弱くなった高齢の教会員が安心して礼拝をリタイヤし、自ら育てた若い先生に見守られながら枕を高くして天国に行くためには、後継者をしっかり育てることが大事であり、やがて私自身もそのように天国に行くためには、高齢者の心配よりも一人でも多くの献身者が与えられるよう祈ることの方が優先ではないか、と思ったわけです。

 別の言い方をするなら、「神様、年をとっても足腰元気で毎週、礼拝に行かせて下さい、出来ればいつまでも死なないで礼拝を守ることが出来ますように」と祈るのは勘違いも甚だしい、むしろ「自分はいずれ教会を去って天国に行きますが、その後も伝道が続けられるように教会をしっかり建てて下さい」と祈るべきではないか、と思ったのです。

 高齢者対応について小田原評定になるのは当然で、それは神様が人間をお作りなったやり方に逆らおうとするからなのかもしれません。
 それよりは、一人でも多くの献身者が与えられるように祈り、そのための働きを支えることの方が、御心にかなうのではないか、と昨晩、考えながら帰ってきました。

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