テーマ:キリスト教

洗礼と原罪 2018年1月14日 CS中高科説教補遺

 洗礼と原罪の認識は対になるものだと思います。  とうか、普通に考えると、原罪の認識が一つの動機となって、洗礼という行為に導かれる、という流れのように思われます。  しかし、現実問題として、多くのクリスチャンが洗礼の前にどれほど原罪を理解していたか、というと、私の場合も含めて正直、疑問を抱かざるを得ません。  愚考する…
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決意表明としての「洗礼」 2018年1月14日 CS中高科説教

【課題聖句 マタイによる福音書/ 03章 13~17節】 13そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。14ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」15しかし、…
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誰のために礼拝するか

 礼拝とは主を賛美するためのものである、だから主のためのものである、というのは勿論、大前提です。  しかし、実はもう一つ、別の何かがあるのではないか、という気がしきりにするのです。  それは、その礼拝に招かれている誰かのため・・・ではないか、ということです。  神様がある人を礼拝にお招きになったとして、教師とその人二人…
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「聖書通読の恵み」 2017年10月29日 夕礼拝奨励 原稿

聖書箇所 旧約 エレミア書 16 章 16節 見よ、わたしは多くの漁師を遣わして、彼らを釣り上げさせる、と主は言われる。その後、わたしは多くの狩人を遣わして、すべての山、すべての丘、岩の裂け目から、彼らを狩り出させる。 新約  コロサイの信徒への手紙 1 章 24節 今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、…
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「祈りへの応答」 2017年10月15日 CS中高科説教原稿

1 前振りとしての聖書の読み方の提案  今朝のお話の本題に入る前に、最近、聖書の読み方について思っていることを少しお話ししたいと思います。  私たちが聖書を読むのは、単に古い文書を読んで昔の歴史や人々の暮らしや考え方を知りたいからではありません。  そうではなくて、信仰の書として、神様の恵みをいただきたいと思うから…
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ヨアブに一票!?~サムエル記下20章にまつわる愚考

 昨日の祈祷会ではサムエル記下20章を読みました。  輪読後の意見交換の中で「私はヨアブに好印象を抱いています」という主旨のことを申し上げたら、同感の声が多くてちょっと驚きました。  ただ、同時に不安になったので意見交換の終わり頃、「ヨアブもダビデも等しく罪人であって、それでも救われるという神様のメッセージとしてイエス様がこ…
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「収穫」とは何か~ヨハネ4:31~38黙想

 これは自分の疑問をいくらか明確にしたいと思ってつづる文章です。  また、最近、秦剛平氏の著書「空白のユダヤ史」を愚作と思いつつも辛抱して読了したので、氏の信仰からほど遠い物の見方に影響されている可能性があるということも、念のため付け加えます。 1 サマリア人女性に対する差別意識批判  31節でイエス様は、弟子たち…
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キリストはエボリで止まった

 カルロ・レーヴィ「キリストはエボリで止まった」(岩波文庫)を読みました。  内容は、ファシスト政権下の1935年からほぼ1年間にわたって南イタリアの寒村に滞在した著者の目に映った前近代的な村の暮らしや人々の物語です。  この衝撃的なタイトルは、本書の冒頭にいきなり飛び出してきて、文明や救済はこの寒村にはやってこなかった、と…
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組織のリーダーが信仰を持つべき3つの理由

理由の一つ目。リーダーの最大の仕事は判断することにあります。過去の事例や経験・知識を通して判断できるようなことなら、リーダーまで上がってきたりはしません。場合によってはリーダーと仲間全員の安全に関わるので、だれも責任を取りたくない、という場合もあるかもしれません。だから常に難しい、かつ、待ったなしの瀬戸際の判断を迫られます。しかし、リー…
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キリストの苦しみの欠けたところ

 今回、聖書通読をしてたくさんの発見に恵まれたと思っていますが、その中でもとりわけ大きな宝石が「コロサイの信徒への手紙」の第1章24節の次の聖句です。 「今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。」  こんなことを言うと、現…
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「信仰」という「感動」

 キリスト教の信仰というのは瞑想や苦行を通じて得られる超自然的な経験ではありません。  なぜなら、ごく一部の人にしか得られないような個人的体験に根ざした信仰は、すべての人に共有することは出来ないし、そのことを逆に言うと、神様にはすべての人を救済しようとする意思はない、と主張するに等しいからです(東アジアの仏教の伝統に沿って言うと、…
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いわゆる「フリー聖餐」に思うこと

 神奈川教区では、いわゆる「フリー聖餐」(*1)を行う教会と、これを認めない教会が分かれています。  正直、一教会員としては「そういう難しい話は先生方で勝手にやって下さい」と思ってるし、そもそも、イエス様はフリー聖餐を行ったとしても、なにか仰るような方ではありません。  しかし、教会の役員としては、フリー聖餐?ちょっと違…
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貪欲は偶像礼拝にほかならない~コロサイの信徒の手紙3章5節

 神社のご神体と言えば鏡や刀、お札だったり、お寺のご本尊は勿論、仏像ですが、普通の人が普通に考えれば、そんなものに何かの力があるはずはない、と分かるはずです。  しかし、ならば私たちを守り救ってくれる存在はどんな方であるかと考えると、大抵の人は恐ろしくなるか、鬱陶しい気持になるだろうと思います。  なぜなら、私たちを守り救う…
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ラザロの墓(前の記事の補足)

 前の記事を書いた後でちょっと気がついたので補足します。  クリスチャンならご存じの通り、ヨハネによる福音書の11章に死んでしまったラザロを生き返らせるという記事があります。  これも詳細はぜひ聖書をお読みいただきたいのですが、ここでこだわりたいのはラザロの墓について「墓は洞穴で、石で塞がれていた」とある点です。  つ…
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白く塗った壁よ

 使徒言行録23章は、無実の罪で最高法院に引き出されたパウロの弁明の様子を伝える、とてもドラマチックで緊迫した場面です。  しかし、その場面のはじめの方に出てくる、パウロが大祭司に投げかけた「白く塗った壁」という言葉の意味がよく分かりませんでした。  しかし、今回の聖書通読の中でマタイによる福音書23章27節に次のようなイエ…
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聖書通読が終わりました

4月1日から始めた聖書通読、昨日、6月25日についに読み終わりました。  42歳のクリスマスに受洗してから、これまでに2回通読していますが、今回の通読でしみじみ実感したのが、スマホの便利さです。  たとえば聖書にはたくさんの地名が出てくるのですが、それをスマホで調べると、ある程度の情報に簡単に接することが出来るのです。 …
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2017年6月25日 CS中高科説教原稿

〈課題聖書箇所〉 創世記 11章1~9 〈参考聖書箇所〉 使徒言行録 2章 1~12  今日は、最初に、有名なバベルの塔のお話、つまりなぜ人々が様々な言語で話すようになったか、世界に言葉の壁が築かれたのか、その経緯と原因を聖書がどのように説明しているか、という部分を読んでいただきました。  そして、それに続いて、そ…
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東神大後援会神奈川地区春の総会に行ってきました(要するに言いたいこと編)

 実は、私の通っている教会ではここ数年、毎週日曜日の礼拝は120名前後の出席者がありました。  しかし、今年度に入って100名を切ることが多くなっていて、その大きな理由は高齢の教会員がいよいよ礼拝出席が難しくなってきた、ということが理由のようです。  そこで、私たちとしては車でお宅まで送り迎えしようか、あるいはお宅におたずね…
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東神大後援会神奈川地区春の総会に行ってきました(予備知識編)

 昨日6月20日は東神大神奈川地区春の総会に行ってきました。ただ、いきなり東神大といってもご理解を得にくいと思いますので、ちょっとだけ予備知識をご説明いたします。  教会では、神学生や神学生になろうとしている高校生を「献身者」と言います。  厳密には、洗礼を受けた人はみんな神様に献身することを誓っているので、クリスチャンは全…
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ピラトという人

新約聖書には、いわば悪役が沢山出てくるけれど、私にはポンティオ・ピラトという人が他人とは思えないのであり、それは、多分、サラリーマンとして生きている自分に近いものを彼に感じるからなのです。  彼は、ユダヤの地の最高権力者でしたが、しかし、ヘロデのような放埓で猜疑心に満ちた専制君主としてではなく、ローマ本国から与えられた組織目標に従う組…
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