テーマ:キリスト教

祈祷会で聖書を読む

 昨日の祈祷会は列王記上13章を読みました。  ざっくりかいつまむと、北王国の初代の王ヤロブアムが自ら築いた祭壇に香を献げた行為をとがめ、主がお怒りであると告げた「神の人」が、もう一人の預言者の軽はずみな言葉の故に死んでしまう、という正直、その意図を図りがたいようなお話しです。  そのお話しについては例えば・・・ …
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パウロ・フレイレをオススメする公開メール

Y兄  頌主。  昨日、パウロ・フレイレ、面白いから読んでみて!ということを一言、申し上げました。  ただ、その際にあらかじめお伝えしたいと思うこともあって、それをメールで差し上げようかとも思いましたが、普通の人はこんな長文のメールはウンザリでしょうから、お時間のあるときに見ていただけるようブログにアップして、メールで…
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ポラニーに聞く「分かっちゃいるけどやめられない」

 私たちは皆、原因があって、結果が生まれるという考え方、いわゆる因果律によって社会のなかで生きていくためのルールを学びます。  だから、その逆、つまり結果をナントカしたかったら、その原因に遡ればナントカなるはずと思い込むのは自然の成り行きです。  しかし、現実はなかなかそうならないし、むしろ、そんな単純なことで世の中が良くなるなら、…
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今年、読んだ本

クリスマスも終わったことだし、今年、読んだ本をとりまとめてみました。  なお、書名の後に*のついた本は横浜市立図書館から借りた本です。金沢図書館の皆さん、多謝、来年もよろしくお願いします。 1   I.イリイチ「ブドウ畑」 2 I.イリイチ「ABC」  12世紀の半ば、西欧における知の歴史に不連続が生じたという著作。知の歴史…
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「子孫を大地の砂粒のように」して欲しいですか?

1 それは祝福ですか?  創世記13:16には「あなたの子孫を大地の砂粒のようにする」という神さまの祝福の言葉が記録されています。  それ以外にも「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」創世記9:1bという祝福もあります。  しかし、子孫が増えると言うことを私たちは祝福として受け止めるかというと、多くの人は、「えっ?何のこと?ウチ…
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なぜ「西欧」を相対化しなければいけないか

 お恥ずかしい話ですが、若い頃、素人バンドでエレキベースを弾いていました(今もしつこく夕礼拝で弾いていますが・・・)。  その頃、中村とうよう氏や小泉文夫氏の書いたモノをよく読んでいて、その影響でいわゆる民族音楽を聴くようになったのです。  その中で気がついたことは、エレキベースやコントラバス、あるいはピアノのお臍よりやや左…
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ベツレヘムへ帰る('18年11月18日 中高科説教)

【課題聖句】 ルツ記  1章 16節  ルツは言った。「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。わたしは、あなたの行かれる所に行き/お泊まりになる所に泊まります。あなたの民はわたしの民/あなたの神はわたしの神。 1 ホームドラマのはじまり  今朝はルツ記の第1章を読んで…
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クリスチャンの倫理的責任について(中間的とりまとめ)

 自分の中でどうしても気になっていることがある。  ただ、現時点ではまだまだ生煮えであって、L.デュモンの「個人主義」に関する論考、M.ウェーバーの古典的著作などをもう少し勉強した上でなければ、結論には至らないと思っている。  しかし、モヤモヤしているモノをこの時点で少し書き出してみて、今後の勉強に集中できるようにしたい…
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東京神学大学に文句を言うための手持ち原稿

 東京神学大学の後援会担当をするように先生に言われて、献金を集める程度のささやかご奉仕をしています。  年に1回、後援会の集まりに行くと、生徒が集まらないというお話と献金をお願いするお話が毎年の主たる話題です。  もちろん、献金をささげるのは当然のことなので、謹んでお話を伺いますが、生徒が集まらない、という件は、最近、疑問を…
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フィリピ1:9~10で「啓示」をたずねる

 新共同訳のフィリピの信徒への手紙 1章 9節から10節にかけて、次のようなセンテンスがあります。  「知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、 本当に重要なことを見分けられるように。」  この言葉、よくよく考えたら、ちょっと変な感じなのです。  「知る力と見抜く力とを身に着け」るということ…
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ヨハネ福音書12:12黙想

 表題の聖書箇所はギリシャ人がイエス様に面会を申し込んだ、という記事です。  しかし、聖書はわざわざ「ガリラヤのベトサイダ出身の」フィリポに申し込んだ、と断っています。  しかも、フィリポは同じ町出身で、一番弟子であるペテロの兄弟のアンデレに相談したうえで、その面会申し込みをイエス様に取り次ぎます。  なぜ、ギリシ…
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変えてはいけない~「ニーバーの祈り」について

 ニーバーの祈り、といわれる以下のような有名な祈りがあります。(Wikiより引用)  「神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。   変えるべきものを変える勇気を、   そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。」  とても心に沁みる祈りですが、その一方でいわく言い…
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「お互いさま」「今のままでいい」への転換

 ルイ・デュモンの「ホモ・ヒエラルキクス」を読みました。  以下に私なりの本書の理解を述べた上で、今の日本の教会における伝道について述べてみたいと思います。 1 発展史観と復元史観  本書は、基本的にはインドのカーストを論ずる本ですが、彼の問題意識は近代西欧社会が「ヒエラルキー」を無前提に社会悪と評価する結果、その…
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憂鬱な話

 先日、ある会合で、あちこちの労働裁判を何年も戦っている人たちのアピールを伺いました。  労働者の基本的人権の侵害、という言葉が何度も語られました。  神を失い、偶像崇拝をも失った人たちは、自分を拝むしかないんだなぁ、とふと思って、考え込んでしまいました。  戦後に偶像崇拝の悪夢から目覚めた人たちは教会に殺到しました。…
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「出エジプトの民とは誰か」CS中高科説教(2018年9月9日)

今日のお話のテーマは、出エジプトの民とは私たちのことだ、ということです。 1 今日の日本で「追い使われる」者とは  さて、毎月末になると完全失業者が何万人、失業率は何パーセントというニュースが流れるのを皆さんは聞いたことがあると思います。  この数字の出典は労働力調査という総務省の統計調査で、昭和21年から行な…
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三位一体の視覚的イメージについて

 イエス様は、福音書の中で受難と復活を繰り返し予告されています。  しかし、受難を予告すること、と、復活を予告することは全く違うことだと思います。  受難の予告とは、イエス様の意思と主体性において選択した死に様の予告です。  しかし、復活の予告とは、父なる神さまの約束の伝達です。  端的に言うと、受難の予…
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キリスト教は「一神教」ではありません

 先日の夕方、放送大学の「国際理解のために」という番組を何気なく聴いていたら、高橋和雄さんという先生が「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はみな、一神教」ですと説明していました。  こういう誤解は、世間に広く流布されているし、分かりやすさのためには多少、雑なお話も仕方ないよねぇ、とも思いつつ、放送大学の先生のご発言でもあり、一言、訂…
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「現人神に捧げられた焼き尽くす捧げ物」広島・長崎

 「性からみた核の終焉」ブライアン・イーズリー著(里深文彦監修 相良邦夫・戸田清訳 新評論刊 原著は1983年)は、男性原理による女性原理の抑圧という視点から核兵器開発の歴史を検討する著作で、著者自身の物理学者という知見を生かした丁寧な叙述が魅力的な一冊です。  特に、その第3章はナチス・ドイツが降伏し、戦後処理が国際政治の主…
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この世で一番エライ人

 子供達向けにこんなお話を考えてみました。 大人「君たちの家で一番エライ人は誰?」 子供「お父さん!お母さん!」 大人「じゃあ、逗子市で一番エライ人は誰?」 子供「市長さん!」 大人「じゃあ、日本で一番エライ人は誰?」 子供「総理大臣!天皇陛下!」 大人「世界で一番エライ人は誰?」 子供「誰かなぁ・・・ア…
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なぜパンを石に変えてはいけないのか~技術と信仰のお話

 マタイ福音書の最初のほうに、悪魔がイエス様に向かって石をパンに変えるように誘惑したお話が出てきます。  私たちは通常、このお話を、なぜイエス様は石をパンに変えなかったのか、という観点で理解しようとしますし、それは後続するイエス様の発言がそのように私たちを導いているからなので、正しい理解だと思います。  しかし、それとは別に…
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「”意味”と”姿”」2018年7月8日 CS中高科説教

本稿は聖書のマタイによる福音書 5章 13~16節についての説教原稿ですが、中高生に語りかけるには、若干、哲学的アクロバットに走りすぎたとの反省もあり、結果的にボツにしました。しかし、自分としては気に入っているので、記録に残しておきます。 1 アダムとイブの選択の自由  今朝の聖書箇所はクリスチャンの生き方を示す…
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「ヨブ記」黙想

ジャック・エリュール*は旧約聖書の中に最も古い弁証法的思考が見られるとした上で「掟→不服従→審判→和解」という神と人との関わり合いが繰り返し描かれていることをその根拠としてあげている。  このエリュールの主張は全面的に首肯しうるし、実際に旧約聖書の世界にはたくさんの執り成しと和解の物語があるので、いちいち例を引くことすら…
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ネズミ講モデルの伝道

 日本の社会がそうであるように、日本の教会も下の図のように推移してきたと思います。    この図はミクロ経済学の教科書の随所に登場するもので、最初は勢いよく伸びてきたのに、やがて頭打ちになってしまう、そういうパターンです。 日本の多くの教会はこういうパターンで推移してきましたが、日本の社会、あるいは世界の先進国全体が長…
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 高齢者よ、仕事を辞めよう!

 僕は58才で仕事を辞めて無収入生活に入ったナマケモノです。  そのような立場から、例えばマタイ19:27のペトロの発言「わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」とはどういうことだったか、ということを、この頃、良く考えるのです。  ペトロは漁師であったと書いてあります。  ひょっとすると、彼が漁業権を持ち、…
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レオポルド・コール「居酒屋社会の経済学」のお奨め

 原題は"The overdevelopped nations~The diseconomies of scale"。  つまり、「過剰開発国家~規模の不経済」というのです。  原著の出版は1974年、大部分の論文の執筆時期は1950年代と言うことで、古い本ではありながら、今日の日本のありように照らしても、なお、聞くべきとこ…
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嘘つき爺やの「ヨブ記」来歴記

 昔々、ユダヤの地のあるところに一つの街があったとな・・・ 「いやぁ、皆の衆、おかげさまで我が町もだんだんと大きくなって、会堂も何カ所か出来たし、会堂ごとに町内会も出来て、毎年、町内会ごとのお祭りや我々、連合町内会の大きなお祭りも盛大に行えるようになってきた、本当にありがたいことぢゃ」 「まったくそのとおり。しかし、最近うち…
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死者の復活(2018年4月22日 CS中高科説教)

2018年4月22日 CS説教 【課題聖書箇所:コリントの信徒への手紙一 15章 12~28節】 【暗唱聖句:20:しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。】  1 パウロの預言  先週まではイエス様の復活について学んできました。  今日は、その続きとして、こ…
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洗礼と原罪 2018年1月14日 CS中高科説教補遺

 洗礼と原罪の認識は対になるものだと思います。  とうか、普通に考えると、原罪の認識が一つの動機となって、洗礼という行為に導かれる、という流れのように思われます。  しかし、現実問題として、多くのクリスチャンが洗礼の前にどれほど原罪を理解していたか、というと、私の場合も含めて正直、疑問を抱かざるを得ません。  愚考する…
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決意表明としての「洗礼」 2018年1月14日 CS中高科説教

【課題聖句 マタイによる福音書/ 03章 13~17節】 13そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。14ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」15しかし、…
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誰のために礼拝するか

 礼拝とは主を賛美するためのものである、だから主のためのものである、というのは勿論、大前提です。  しかし、実はもう一つ、別の何かがあるのではないか、という気がしきりにするのです。  それは、その礼拝に招かれている誰かのため・・・ではないか、ということです。  神様がある人を礼拝にお招きになったとして、教師とその人二人…
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