湯澤規子さんを読もう!

 今年読んだ本の中で、湯澤規子さんの「胃袋の近代」はビンゴ!な一冊でした。
 そこで、知人にお奨めしたところ、「読んだよ、面白かったよね」という反応。
 さらに別の知人にお奨めしたら「図書館で別の本、“7袋のポテトチップス”を借りて読んだら、面白かったです」というのです。
 つまり、僕だけではなくて、皆さんにもビンゴだったという事なので、もっと多くの方にお読みいただきたいと思い、以下に少し丁寧にご紹介をいたします。

 「胃袋の近代」と「7袋のポテトチップス」は、実はこの2冊でセットになっていて、前者が米騒動から日中戦争開始の頃まで、後者が戦中から現代までの日本の歴史を「胃袋」の視点から扱っています。

 湯澤さんは、「胃袋の近代」の冒頭で、F.ブローデルの名前を挙げて彼らアナル派が出来事の歴史記述ではなく、人々の歴史を追究した姿勢を高く評価した上で、自らの歴史記述もそのような姿勢を目指すと述べています。

 そして、その志のとおり、明治期の一善飯屋から製糸工場の女工たちの集団給食、銃後と戦場の飢餓体験、高度成長期の料理雑誌とテレビ番組と、まさに人々の歴史を追究していきます。

 その視点は、あくまでも生活者の視点に徹底しており、この2冊の魅力はまさにその点にあると言えるでしょう。

 2冊を比較すると、「胃袋の近代」の方がやや学術的で固い印象、「7袋のポテトチップス」は時代が近いせいもあって多くの方には読みやすいかな、という印象ですが、やっぱり2冊セットでご覧になるようにオススメしたいですね。

 ちなみに、「胃袋の近代」で参考文献として示されていた大江志乃夫編「日本ファシズムの形成と農村」はマルクス主義史観に基づくゴリゴリの学術書ですが、湯澤さんの視点から読むと、湯飲みのお茶に浸したお煎餅みたいに口当たりが良くなるから、湯澤さんマジック、恐るべしという感じです。

 ただし、ひとつだけ留意してお読みいただきたい点があります。

 この長い歴史研究の旅の終わり、「7袋のポテトチップス」のおわりに当たって、湯澤さんは「公」、「共」、「私」という三つのレイヤーに添って、この2冊で追いかけてきた胃袋の歴史を説明しようとするのです。

 実は、ブローデルも「物質文明・経済・資本主義」という三つのレイヤーで彼の歴史記述を行っているのですが、同時に、それらの三つのレイヤーが一定の法則に従って発展するという見解を断固として拒否しているのです。

 おそらくブローデルには、過去の事実を記述することが歴史学の使命、その歩みからなんらかの法則を取り出すのは哲学の仕事だ、という思いがあり、そして、歴史学者として、人々の営みを無視した哲学者(ヘーゲルやマルクスはもとよりK.ポランニーですら)の観念論を許しがたかったのでしょう。

 湯澤さんもその点は十分、理解しながら、しかし2冊で1冊の大著を締めくくるに当たっては、抽象的で観念的な説明上のモデルが必要だと判断したのだと思います。
 しかし、「胃袋の近代」を読んでいない読者はもとより、多くの読者がブローデルの歴史理解を知る由もないので、歴史理解のためのモデルと発展史観的なモデルという間に、誤解を生じやすいかな、という印象でした。

 ただし、そのことは同時に、次なる可能性を展望、期待させるものでもあります。

 それというのも、「公」、「共」、「私」という仮のとりまとめが、次にはそれらの相互関係がどのようなものであったか、というテーマを導くはずだからです。

 ブローデルは、みずからの整理した三つのレイヤーという理論モデルによって発展史観を打ち立てることを拒否しましたが、これらレイヤーが相互に影響し合うことは積極的に認めているし、その影響をどのように記述すべきかに心を砕いていました。

 つまり、湯澤さんはこの2冊でご自分の歴史理解モデルの基礎固めをした上で、それらをさらに精緻化し、次なるステップに進んで行かれるだろうという、楽しい期待を読者に与えてくださっている、と読んでいるのです。

 だから、この2冊を上回るさらに大きなビンゴ!が近い将来、やってくることを心待ちにしているのです。

胃袋の近代―食と人びとの日常史―
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7袋のポテトチップス: 食べるを語る、胃袋の戦後史
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