希望とはなにか~7月14日CS中高科説教原稿


【使徒言行録 8章4~8節】 交読詩編 146
4さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。 5フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。 6群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。 7実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。 8町の人々は大変喜んだ。

 今日の聖書箇所は、まず、
①フィリポが町にやってくる
②人々にキリストを宣べ伝える
③次に、奇跡を行う
④キリストの話と奇跡に驚いた人々がフィリポの周りに集まって来る
⑤集まってきた人々がキリストの話を聞いて喜ぶ
・・・という順番になっていて、つまり人々が喜んだのはキリストの話であって、奇跡ではない、と言うことに注意して欲しいんです。
 では、キリストの話とはどういう話でしょうか。
 それはイエスというナザレからやってきた若い大工さんが本当は神さまの息子だった、そしてこの人こそが、この世の救い主、つまりキリストだった、ついに長らく待ち望んだ救い主が現れた!という、いわば衝撃のニュースをその町の人たちに伝えた、と言うことです。

 ならば、救い主とはどんな方でしょうか。
 例えばさっき一緒に読んだ詩編146を見ると、その方は「虐げられている人のために裁きをし/飢えている人にパンを」与え、「捕われ人を解き放ち」、「見えない人の目を開き」、「うずくまっている人を起こされ」、また「寄留の民を守り/みなしごとやもめを励まされる」、素晴らしい方だと述べています。
 フィリポはそういう方がこの世にお見えになったことを伝えた上で、救い主ご自身から授かった力によって奇跡を行って、そのことを証したものだから、みんな大喜びした、と言うことが今日の聖書箇所が伝えていることなんです。

 ところで、アマルティア・センという経済学者の本の中に、次のような言葉がありました。
「希望を持てないほど虐げられた人々は、急激な変化を求める勇気を欠き、自分自身の願望や期待を、実現可能なわずかばかりのものに合わせてしまう傾向がある。彼らは、小さな慈悲にも大きな喜びを見いだせるように自分自身を訓練しているのである。」 「正義のアイデア」P406

 聖書を読むと、この時のサマリアの町の人々が「希望を持てないほど虐げられた人々」だった可能性は高いと思います。
 しかし、それゆえに、フィリポの伝える、ある意味、荒唐無稽な救い主のお話を簡単に信じ、喜んだのでしょうか。

 幸いにして、今の私たちはサマリアの町の人々に比べれば物心両面に渡る豊かさに恵まれています。
 もちろん貧富の差は広がりつつあるし、相対的に貧しい人たちが増えていますが、食べ物がなくて飢えて死ぬ人は、恐らく今の日本にはいないでしょう。
 そして、そのような豊さの中で私たちとしては救い主に特別の用事はないし、救い主キリストの側から見ても、そうやって満ち足りている人たちには、特に用事はないと思います。
 しかし、もし、地球上のすべての人が十分に豊かになって、「希望を持てないほど虐げられた人々」が一人もいなくなったら、もはや救い主はこの世に必要なくなるのでしょうか。

 しかし、預言者イザヤは次のように言っています。
「あなたは多くのことを見ながら、心に留めず、耳を開きながら、聞こうとしない。 イザヤ40:20 新改訳」
 また、キリスト・イエスも次のように言っています。
「彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしない(略)。マタイ13:13 新改訳」
 私たちが「見ても見ず、聞いても聞か」ない人々である、と言う可能性はないでしょうか。
 もし、私たちの周りにも、地球上のどこにも「希望を持てないほど虐げられた人々」が一人もいなくなって、日本から貧富の差がなくなった、と思ったとしても、それは自分たちの豊かさに不都合な人たちに目をつぶっているだけだ、と言うことはないでしょうか。
 それどころか、救い主なんか必要ないと思っている自分自身が、実は「希望を持てないほど虐げられた人々」の一人ではないのでしょうか。
 そもそも、希望とは、本当は何モノであり、誰のためのモノ、なのでしょうか。

 今日の聖書箇所を通して、実は私たちに見えていないものがたくさんあるということ、そして、その見えていないものこそが「希望」そのものであり、とりわけその中でも、来たるべき救い主こそが、私たちの最大の、そして最も輝かしい「希望」であるということを、僕は改めて証したいと思います。

 祈ります。

 恵み深き私たちの神さま。
 救い主キリスト・イエスを私たちにお与えくださったことを感謝いたします。
 キリストによって与えられた希望が私たちみんなを導き、また、私たち一人一人を支えてくださいますように。
 そのような希望が与えられていることを、たえず喜び、感謝し、祈りながら歩み続ける者に私たちを作り替えてください。
 御子イエス様の御名によってお祈りします。

正義のアイデア
正義のアイデア

"希望とはなにか~7月14日CS中高科説教原稿" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント