Respect yourself 4月28日CS中高科説教原稿


 アメリカのゴスペルグループ、Staple Singersが1971年にヒットさせた曲に「Respect yourself」という曲があるんですが、最近、ピーター・バラカンさんの本を読んでいたら、この曲の歌詞についての面白い説明があったのです。
 皆さんは、「Respect yourself」という言葉はどういう意味だと思いますか?
 普通に訳すると君自身を尊敬しなさい、という意味だろうな、だから、自分を大事にしなさい、ということかな、と思っていました。
 ところが、英語の意味としては「恥を知れ」とか「ちゃんとしろ」っていう意味なんだそうです。
 実際に、この曲の歌詞をちゃんと読むと、もしお前が他人をDisrespect、つまりちゃんと尊敬しないなら、お前が出会う人誰一人、お前を尊敬しないだろう、という歌い出しなんです。
 そして、ちゃんと聖書を手にした大人のように振る舞いなさい、とか、知らない女性の前では下品な言葉を使うんじゃないとか、そういう、まぁ、当たり前のことを当たり前にちゃんとしなさい、っていうような歌詞が続きます。
 どうやらRespectという言葉、あるいは尊敬という言葉の意味が、日本語と英語ではかなり開きがある、と言うことだと思います。
 では、どう違うのか。
 日本語で言う尊敬とは、暗黙に社会的な上下関係を前提にしているように思います。
 例えば、先生と生徒、とか、会社の上司と部下、みたいな関係の時にどのような立ち居振る舞いをするか、ということですね。
 一方、英語のRespectの感覚は、社会的な上下関係とは無関係に、相手を大事にする、そして、その反射的な効果として自分も大事にしてもらえる、ということのように思われます。
実際、「Respect yourself」の歌詞を読んでも、またネットで色々と調べた限りでも、そういう理解で間違いなさそうです。
 では、日本では目上のヒトだけを尊敬して、対等の立場の人とか、さらには立場が下の人を尊敬していないか、というと、けしてそういうわけではないと思います。
 ただ、自分が子供を育てたときに、立場がどうであろうと、ちゃんと他人を大事にしなさい、そのことが自分を大事にして貰うことなんだよ、とかちゃんと教えたかというと正直、あんまり自信がない。
 最近は、子供たちに、知らないヒトと口を利くなと教える教育が広がっていて問題だよね、という話も良く聞くんだけど、きっとそれは誰であってもお互いに敬意を持って接するという大原則をそもそもチャント教えていないということ、の結果なのかもしれない。
 もし、そういう大原則が社会的な共通認識として確立しているなら、こっちが敬意を持ってちゃんと挨拶したのに、まともな挨拶を返さないで、かえってこちらが挨拶によって設定した距離感を土足で乗り越えてくるようなヒトは危ない、と危険を察知する能力が、逆に身につくのかもしれません。
でも、そのことを大人ですらちゃんと分かってないから、とりあえず誰彼構わず口を利くなっていう変な教え方になるのかもしれないですね。
 「Respect yourself」の本当の意味を尋ねると、色んなことが分かってくるし、実は今朝の聖書箇所を理解するための大きなヒントが隠されていると気がついたので、ちょっとお話ししました。
 さて、そこで今日の聖句を見てみましょう。

ヨハネによる福音書 21章 19節
ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。


 ペトロのその後のことはともかくとして、とにかくイエス様は「私に従いなさい」と仰いました。
では、イエス様に従って、この世を歩むためには、どうすれば良いのか。
これはとても大事なことで、だからこそ、3つの福音書に同じような記事が書かれているのですが、今朝は、特に、マタイ福音書からその部分を読んでみたいと思います。

マタイによる福音書  19章 16~19節
16 さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」17 イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」 18 男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、19 父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」



 イエス様は「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、19 父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい」と6つのことを仰っていますが、これは大きく二つのカタマリに分けることが出来ます。
 まず、最初の5項目は律法、つまり、神さまが与えてくださった掟の基本である十戒のうちの後半の5項目です。
 十戒のうちの前半の4項目は神と人間の関係を定めたもので、永遠の命を得たいなら、この4項目を遵守することは当然なので、クドクドと述べる代わりに、「善い方はおひとりである」とだけ述べているんだと思います。
 その上で、しつこく食い下がる男に対して、イエス様が強く求められたのは、人と人との関係を定めた後半の5項目の遵守でした。
 そして、最後の10番目の項目、つまり隣人の持ち物や社会的地位を欲するな、という消極的な戒めに変えて、レビ記19章18節から引用して「隣人を自分のように愛しなさい」という積極的な戒めを与えて、念押しをされているということです。
 その上で、細かく見ていくと、「殺すな」「盗むな」「偽証するな」というルールについては、要するに、他人の身体や持ち物を尊重するということ、そして、自分の発言に責任を持つ、と言うことです。
 「父母を敬え」というのは、目上の人、立場が上の人の前では、ちゃんとした振る舞いや口の利き方をして敬意を示せ、と言っているのです。
 「姦淫するな」というのは、基本的には女性に対して失礼な振る舞いや口の利き方をするな、と言うことですが、あなたより立場や力の弱い人に対して乱暴なことをするな、ちゃんと敬意をもって接しなさいと言うことでもあると思います。
 そして、それら全体を一括りにして「隣人を自分のように愛しなさい」と仰っているのですが、「愛しなさい」という言葉を「尊敬」と言い換えると「隣人を自分のように尊敬しなさい」、つまり、さっき説明した「Respect yourself」になりますね。
 つまり、最低限でもさっきの5つのルールを守って、他人に対する尊敬をしっかり表すとともに、自分をも尊重して貰いなさい、つまりそうやって、互いに大切にしあいなさい、とイエス様は教えておられるということであり、それがイエス様に従う、ということなんだと思います。
 これを、ちょっと難しい言い方をするなら、倫理的な生き方をすること、それがイエス様に従って生きるということです。
 僕の最初の奥さんは20年前に亡くなりましたが、そのお父さんという方は熱心なクリスチャンでした。
 もう、もちろん亡くなっていますが、昔、そのお父さんにキリスト教とはなんですか、と尋ねると、それは倫理だ、と答えたんです。
 なんだ、倫理か、要するに道徳的な教訓の塊なのね、つまんない話、とその時は思ったんです。
 でも、それはとんでもない誤解だったと、今になって反省しています。
 なぜなら、私たちは産まれてから死ぬまでこの社会の中で何らかのルールに従って生きていくしかないのであり、すべての人は見ず知らずの他人が作ったルールに従うところから始めることになります。
 だけど、そのルールが間違っていたら、どうでしょうか。
 あるいは、そのルールが正しいことを誰が証明してくれるでしょうか。
 もちろん、子供のうちは色々のことについて責任を問われることはありませんが、ある年齢を過ぎたら、一つ一つの発言や行動の結果が、すべて自分の責任になってきます。
 だから、その前提として正しいルールをちゃんと選び取る必要が生じてきます。
その時に、どっかの偉い人やお役人が勝手に作ったルールを選ぶべきでしょうか。
あるいは、神さまからいただいた、そして、イエス様が十字架で命を捨ててまで私たちを招いてくださっているルールを選ぶべきでしょうか。
 答えは明らかだと思います。
 今日、この今年度始まって間もないこの朝に、私に従いなさいと、呼びかけるみ言葉が与えられたことには、きっと神さまの意図があってのことだと思います。
 今年一年、この神さまから与えられた言葉をしっかり心に刻んで歩んで欲しいと思います。
そして、毎週、教会に通って、イエス様のルールを学び続け、イエス様に従って生きていくぞ!という決意を、ここにいる全員で新たにしたいと思います。

 祈ります。
 恵み深き神さま。
 この1年のスタートの時に、この小さき者が説教者として立てられたことを感謝します。
 そして、この1年、私たちがイエス様に従って歩み続けるように、力をお貸しください。
 私たちが、毎週、教会学校で礼拝を献げ、イエス様の教えを学び続けるように、子供たちを導いてください。
 また、教師たちが良き導き手となるように、さらなる学びの時間と志しをお与えください。
 この祈りを尊き御子イエス様の御名によって御前におささげいたします。


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