「いかなる立場も切り捨てない」は何を意味するか


 日本基督教団神奈川教区では教区形成基本方針という文書に重要な位置づけを与えています。

 この文書では「いかなる立場も切り捨てない」という主張がなされていますが、この主張の隠された意味を、社会的選択理論を用いて検討してみたいと思います。

 さて、仮に私がある会議の参加者であって、すべての人を私の意志に従わせたいと考える独裁者だったとします。

 そして、「いかなる立場も切り捨てない」、すなわち、反対意見がある間は合意に達したとはせず、全員一致による合意のみを会議全体の合意とするという、きわめて民主的な原則を会議に押しつけている、とします。

 その場合に、独裁者である私が、自分の主張と一致しない提案に、とことん最後まで反対を続けるとどうなるでしょうか。

 そもそも会議を行うのは、合意形成の必要があるからです。

 ひょっとすると、大至急、合意形成をしなければならないような危機的な状況の中で会議をしているかもしれません。

 そのような状況の中で、全員一致を合意形成の条件とした上で、独裁者たる私が自分の主張と一致しない主張をしりぞけ続けると、最終的には全員が独裁者の主張で一致せざるを得なくなります。

 つまり、全員一致を合意形成の条件においてしまうと、独裁者の主張に沿った合意しか生み出せないということです。

 ちなみに、この逆もまた真であって、全員一致による合意が形成された時には、そこに必ず独裁者がいると言うことでもあります。

 普通に聞くと信じられないような話かもしれません。

 しかし、このことは1951年にケネス・アローが「可能性定理」という名称で発表し、今日では「不可能性定理」という名称で様々な分野で知られているものです。*

 つまり、「いかなる立場も切り捨てない」という主張は、一見、民主的な主張のようですが、その本当の意味は、独裁者を生み出す、民主的な討論を崩壊させる主張だということです。

 しかも、さらに困ったことは、この主張の持つ極めて民主的な見かけのせいで、恐らくこのことを主張する人も、また、周囲の人も、この危険な主張を否定することが難しいということです。

 その結果、会議に参加する誰にも歯止めを掛けられないままに、会議の中に独裁者を生み出し、君臨し続けることを許してしまうことになります。

 以上、「いかなる立場も切り捨てない」という主張は、民主的な合意形成にとっては、非常に危険な落とし穴であるということをご理解いただきたいという趣旨でご説明いたしました。

 会衆の皆さまには、「神奈川教区形成基本方針」なる文書の評価について、独裁者を許容する立場に立つのか、真に民主的な教区運営を願う立場に立つのか、という視点からご判断いただきたいと思います。


* 私のような初学者には、坂井豊貴著「社会的選択理論への招待 : 投票と多数決の科学」日本評論社 (2013/11/22)がお奨めです。



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