死んでも派遣で働くな 5(「黒部の太陽」と徴用工問題 編)


 僕が子供の頃、「黒部の太陽」という映画が大ヒットしました。
 ネットで調べると1968年の制作公開だったそうで、僕自身はつい最近、TVで見ましたが、なるほどヒットしたのも頷ける内容でした。

 ただし、労働法にいくらか詳しい人が見ると、明らかに法律違反があったことが分かると思います。

 過酷な土木工事の映画で沢山の建設労働者が掘削工事に従事する姿が画面に描かれます。
 しかし、彼ら労働者のことを、使用者である下請け企業の社長は「人夫」と十把一絡げにして呼んでいます。
 また彼らを募集したり選考したり、賃金計算をして資金繰りにあくせくしたりという、いつの時代にも見られる中小企業の経営者の姿は一切描かれていません。
 さらに、労働者の健康状態や寄宿舎の生活状況をチェックして必要な健康安全管理を行う姿も描かれません。
 つまり、この工事に従事した労働者たちは戦前戦後を通して活躍した手配師から送り込まれたに違いない、と言うことです。

 手配師は今日の言葉で言うなら人材派遣会社ですが、この映画の時点でこの事業を行うことは法律で禁止されていました。
 また、今日の派遣法においても建設業への派遣は重大違反の一つです(それゆえ、おそらくこの工事については、偽装請負の形で労働者を送り込んでいたと思われます)。

 しかし、石原裕次郎の父親役、戦前からのやり方を繰り返す頑迷な老人はとして描かれている社長は、戦前の感覚のままに次々と手配師から労働者を送り込ませて、消耗品のごとくに使い潰せばよいと考えています。
 実は、彼がそのように考え、振る舞うのは、戦前には国の許可の下で労務供給事業を行うことが公に許されており、建設業への供給も可能とされていたからです。*
 だから社長は、戦争中の他の黒部ダムの工事でそうしたように、湯水のように労働者を酷使しては次々と送り込ませればよい、と考えていたから、きわめてブラックな雇用管理を行っていた、ということなのです。

 そして、この映画の最大の問題は、この映画の登場人物のすべてが戦前のような手配師の存在を黙認し、過酷な現場で働く労働者の人権、それどころか安全衛生や健康管理について一顧だにしないという点にあります。
 そのことを踏まえて、この映画の描く世界をさらに一歩引いた視点で見てみると、頂点に電力会社がおり、その下にゼネコンが複数存在し、さらにその下に重層下請け構造があって、末端の労働者が幾重にも搾取されているという構造があったことが見て取れるのです。
 さらに、この構図の中のゼネコンの脇に大手メーカーを並べるならば、そこにあるのは今日、原発ジプシーを搾取し、3.11以降は多数の除染作業員を搾取している三角形の構造が、戦前から「黒部の太陽」の時代を経て、今日まで変わっていないことが分かるのです。


構造図

 また、この頃、問題となっている朝鮮半島出身の徴用工たちも、このような構図のもと、この映画に描かれている戦時中の黒部ダムの過酷極まる工事現場や各地の製造現場で使役され、搾取されていたはずです。

 こうした搾取の構造が我が国の社会に連綿と息づいていること、そして、戦前にはその範囲が東アジア全域に国策として展開されていたこと、を私たちの眼には見えにくい現状があります。

 その直接の原因はマスコミの不勉強と自己規制にあるのでしょうが、その根元を辿ると第2次世界大戦に至る戦争責任と東アジアに対する加害責任を曖昧にし続けてきた日本人全体の責任だと思います。

 なお、韓国徴用工問題について、僕は多くを語るほどの情報もありませんし、勉強もしていません。

 しかし、上で述べたような黒四ダムの労働者、原発ジプシーや除染作業員の姿を見る限り、彼らの日本の社会に対する告発と糾弾は理にかなったものである可能性が高い、と考えるべきでしょう。

 ネットで調べると「黒部の太陽」は配信で視聴可能ですので、関心のある方は上のような視点を踏まえつつ、ご覧になっても良いかもしれません。

http://shokugyo-kyokai.or.jp/shiryou/gyouseishi/04-2.htmlをご参照ください。ページを下の方へスクロールして、下から二つ目の段落です。

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