「現人神に捧げられた焼き尽くす捧げ物」広島・長崎


 「性からみた核の終焉」ブライアン・イーズリー著(里深文彦監修 相良邦夫・戸田清訳 新評論刊 原著は1983年)は、男性原理による女性原理の抑圧という視点から核兵器開発の歴史を検討する著作で、著者自身の物理学者という知見を生かした丁寧な叙述が魅力的な一冊です。

 特に、その第3章はナチス・ドイツが降伏し、戦後処理が国際政治の主要関心事となる中で、なぜ米国は広島・長崎への原爆投下を強行したかを述べていて興味深い内容となっています。

 その間のいきさつを著者は概ね以下のように述べています。

 マンハッタン計画は、当初、ドイツの原爆開発に先行することが目的であった(日本に原爆を開発する技術も資金もないことは欧米の科学者の間では共通認識であった)。

 だから、5月にドイツが降伏した時点で、同計画は放棄されるはずだったが、トルーマン大統領は逆に開発を急ぐよう指示。

 陸軍長官(マンハッタン計画を主管)は日本に天皇制の存続を許した上で降伏を進めるよう大統領に進言するが、米国が原爆を保有していることをソ連に示すことで、戦後処理を有利に進めたかった大統領はこれを拒否。

 一方、日本政府は天皇制の存続が認められない限り、ポツダム宣言を受諾しない方針であったため、トルーマン大統領はロスアラモスの科学者たちを督励しながら、原爆の完成まで時間稼ぎをした上で、完成後は急いで広島・長崎に投下。

 その後は直ちに、天皇制存続を条件とするポツダム宣言受諾を米英が了承し、8月15日にやっと終戦。

 つまり、広島・長崎の惨禍を生み出したのは、米国の軍事的覇権への強い意志と日本政府の天皇制への強い執着という、二つの歯車が不幸にしてかみ合ってしまった結果であった、ということです。

 しかし、私は、米国の非人道的な判断を問題にする前に、広島・長崎の人々を皆殺しにしてまで天皇制を守らなければならなかったのか、を問う必要があると思います。

 旧約聖書の時代には、イスラエルの民を取り巻く民族の中で、乳児を焼き殺して偶像に備えるという宗教祭儀が行われていました。*

 そして、1945年8月に日本政府は広島・長崎の人々を現人神たる天皇のために焼き殺した、ということがこの本を読むと分かります。

 今、憲法改正発議が議論に上っている中で、天皇制という偶像崇拝が存続する限り、日本政府による非人道的な人身御供が繰り返されるはずであると考えるのは私だけでしょうか。

 しかも、当時の政府内部にあって高級官僚だった人々の末裔が、そのような主張をしているのです。

 本当は、この著書に基づいて何月何日に誰が何をしたか、ということを細かく、時系列的に紹介することも考えましたし、それを可能とするほど、本書の調査と叙述は委細を極めているのですが、それゆえにこそ、まず自ら手に取ってお読みいただきたいと思います(横浜市立図書館が所蔵しています)。

 そして、偶像崇拝的な社会、神話に支配された社会が常に破滅的な事態を招来する理由について、考察を始めるきっかけとしていただきたいと思います。

*レビ記18:21「自分の子を一人たりとも火の中を通らせてモレク神にささげ、あなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。」



紹介図書の表紙写真

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