死者の復活(2018年4月22日 CS中高科説教)

2018年4月22日 CS説教

【課題聖書箇所:コリントの信徒への手紙一 15章 12~28節】

【暗唱聖句:20:しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。】 


1 パウロの預言

 先週まではイエス様の復活について学んできました。

 今日は、その続きとして、この世の終わり、つまり終末の時が来れば、イエス様のように死んだ人たちがすべて復活する、よみがえる、というパウロの証言を学びます。

 さて、パウロの言うところを聞きましょう。

 まず、パウロは20節で「キリストは死者の中から復活し」た、とハッキリ証言しています。

 この点については、先週までの学びと重複しますので、繰り返しの説明はしません。

 むしろ、パウロと一緒にその先に進みたいと思います。

 パウロは、キリストの復活という事実に立脚したうえで、私たちの救いはそれにとどまらない、キリストの復活に続いて、私たち、つまりやがて死んで墓に葬られる私たちも含め、「眠りについた人たち」も復活する、その「初穂となられ」た、と証言するのです。

 つまり、キリストが復活されたように、すでに眠りについた死者たちも復活する時が必ずやってくる、と証言するのです。

 しかしなぜ、パウロはまだ見たことも経験したこともない、私たちのご先祖様や、私たち自身の復活を証言することが出来たのでしょうか。

 それは、神様が彼にそのことを教えたから、あるいは彼に命じて私たちへのメッセージとして託したから、です。

 パウロは神様からのメッセージを預かった者として、ある意味、彼自身の意思や願いにかかわらず、いわば、そのメッセージを私たちに伝えることを神様に強制されて、このように証言しているのです。

 変な言い方ですが、旧約聖書に登場する預言者たちと同様に、パウロもまた、信じがたいというだけでは収まらないような、自ら世の中の人たちからの迫害や攻撃の的になるようなことを証言するように神様に強制されているのだ、ということです。

 そのことは、パウロが15節で「わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。」というところに、とても切実に現れています。

 「偽証人」という言葉は、日本語としては変な言い方で、意味が通じにくいのですが、要するに「嘘つき」ということです。

 つまり、パウロは自分は嘘つきではない、何かの下心があって嘘偽りを言っているのではない、と訴えるばかりか、神様のことで嘘をつくような恐れ多いことをするはずがないじゃないですか、なのに、なんで信じてくれないんですか、と、ほぼ涙ながらに訴えているのが、この15節なんです。

皆さんにも、このパウロの必死の訴えが届いて欲しいと思います。



2 死者のよみがえりとは

 さて、パウロがなぜ、こんなに必死に証言をしているのか、それは神様のみ言葉を預かったからだ、ということを説明したところで、次に、死者のよみがえりについて考えたいと思います。

 このことについては、パウロを通して神様がそのように仰るんだから、要するにそういうことなんだよ、というしかないんです。

 しかし、せっかくの機会ですので、そのことを足がかりに聖書の恵みを分かち合いたいと思います。

 ここで、マタイ福音書2章の16節から18節、イエス様の誕生に際してやってきた東方の3博士の話のすぐあとのところですが、ここを皆さんと読んでみたいと思います。

「16:さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。」

 ここ、大事です。大いに怒ったのです、それは何故でしょうか。ともかく先を読みましょう。

「そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。17:こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。 18:「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから。」」

 クリスマスの時に、この前後のところをみんなで読んだり、ページェントで楽しんだりするんですが、私は、実はそのたびに、この箇所が目について、気持が暗くなることを繰り返しているんです。

 ちょっとだけ説明すると、イエス様がお生まれになるときに東の国の学者たちがヘロデ大王を訪ねてきて、次のユダヤの王様がお生まれになったはずだ、その赤ん坊はどこにいるか、と尋ねたわけです。

 しかし、彼らのユダヤの王様うんぬんという話は、ヘロデ大王にとっては、まことに怪しからん話なんですね。

 なぜなら、やがては自分、もしくは自分が定めた後継者を殺して、王位を奪うことになる赤ん坊が生まれたと言うことに他ならない訳ですね。

 だから、その怪しからん赤ん坊を捜し回った挙句、見つからなかったので、ベツレヘムとその周辺の赤ん坊を皆殺しにした、と、こういう話なんですね。

 しかし、福音書を書いたマタイはその事実を述べたあとで、わざわざエレミヤの預言を引いているのです。

 その部分を、もう一度読むと、「ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから」、つまり、子供たちを殺された母親が絶望して泣いている、と当時の様子を伝えているように、一見、見えるのです。

 しかし、エレミヤ書のこのあとの部分を見ると、マタイがこの箇所を引用した真意が別のところにあることが分かってきます。

 さあ、エレミヤ書31章15節から17節を開けてみましょう。まず、15節。

「15:主はこう言われる。ラマで声が聞こえる/苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む/息子たちはもういないのだから。」

 ここまでは、福音書と同じですが、大切なのはその先です。

「16:主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。 17:あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る。 」

 年のせいで涙腺が緩くなっているせいか、聖書のこういうところに出会うと、ホント、ぐっときちゃうんですね。

 つまり、ヘロデ大王に殺された赤ん坊たちは、復活して死者の国から帰ってくる、と神様が仰っている、だからお母さんたち、涙をぬぐいなさいと、エレミヤは神様から預かったメッセージを伝えているのです。

 この世界をお作りになった神様、しかも、その世界を見て「極めて良かった」と言っておられた神様が、ヘロデ大王に殺された赤ん坊を、そのまま墓の中に放置するはずがない、と私は思うし、皆さんもその点については異論はないだろうと思います。

 ただし、死者が復活するなんて信じられない、我々の経験や常識に反するという、という人もいるかもしれません。

 しかし、神様の大きなご計画やお母さんたちに対する愛情と、私たち人間のちっぽけな常識や思い込みと、どっちが信ずるにふさわしいか、それは明らかなことだと思います。

3 パウロの罪の許し

 さて、最後にもう一度、パウロのことにお話を戻したいと思います。

 パウロのひととなりを考えると、彼は、イエス様のお弟子の中で最初に迫害によって殺されたステファノの殺害に協力した人物です。

 彼自ら殺害に手を染めたわけではありませんが、そのことに賛成し、殺害に協力した人物です。

 その意味では、パウロは人殺しでありながら、裁判にも懲役にも服していない、とんでもない人物なのです。

 そのパウロが死者の復活を証言しているということは、どういうことでしょうか。

 今日の聖書箇所では出てきませんが、パウロは、死者の復活のあと、神様の前で裁きの座に立つことになる、と言っています。(Ⅱコリ5:10)

 パウロはイエス・キリストの福音伝道に生涯を捧げた人でした。

 しかし、その一方でイエス様のお弟子を殺した犯罪者でもありました。

 そのようなパウロにとって、終わりの日に復活して、神様とイエス様の裁きの座に立つとはどういうことだったのでしょうか。

 私たちが普通に考えると、人殺しとして永遠の滅びに落とされるか、偉大な伝道者として天国に入れていただけるか、いずれもあり得ることです。

 しかし、フィリピの1:23で、彼は「この世を去って、キリストと共にいたいと熱望して」いると述べています。

 つまり、彼は裁きの座に立つことを待ち望んでいたわけですが、それは彼が神様の裁きが正しいものであり、しかも、赤ん坊たちを復活させる下さる、恵みと慈しみにあふれた神様を信じていたと言うことです。

 しかし、なぜ彼は神様を信ずることが出来たのでしょうか。

 それは彼が常に神様と共にいたから、です。

 あるいは神様がどんな困難の中でも彼と共にいてくださったから、です。

 そして、彼がその神様に従い通したから、です。

つまり、神様と和解し、神様と共に御国のために、神様のために働く者としての人格的な信頼関係があったから、ということです。

 さて、また出てきましたね、神様との間の人格的な関係というキーワード。

このキーワードこそ、最も大事な核心部分ですが、今日は、これについて詳しくお話しする時間はありませんので、それはパスしますが、とりあえず今日、大切なことは、その神様は、パウロだけの神様ではない、ということです。

 私たちみんなの、そして私たち一人一人の神様であり、私たちが願えば神様は必ず私たちと共にいて下さいます。

 私たちも神様と和解させていただき、信仰を言い表しながら歩み続ける者とさせていただけるよう、神様にお願いして、このお話をお終いにしたいと思います。

 祈ります。

 天の国の恵み深き神様。
 御名を賛美します。
 神様にお出来にならないことはありません。
 神様の招きに応え、従うものとさせて下さい。
 どうぞ私たちを常に神様と共に歩むものとさせて下さい。
 み言葉によって生かされ、日々、新たにされる者として下さい。
 私たちに聖霊を注いで下さい、その実を豊かに実らせて下さい。
 この祈り、御子イエス様のお名前によってお捧げします。

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