教会とバラバラの人々


 今日の日本の最大の問題は人々がバラバラになっていることだ、と申し上げました。

 そのような視点で聖書を読むと、面白いことに、聖書の中の人々はいつどんな状況になってもバラバラにならないのです。

 もちろん、旧約聖書の中には戦いがたくさん描かれますが、それらは共同体が一致して戦った他民族との戦いか、自らの共同体における権力争いのいずれかであって、共同体が散り散りになっていくということはありません。

 また、捕囚の時代も、イエスの受難の後も、イスラエルの民や弟子達の共同体は維持されましたし、とりわけ弟子達の共同体は教会とされ、すべての民族が一つの共同体に統合されることこそ神の御心との確信のもと、世界中に広がり、主として家族伝道によって今日まで維持されました。

 しかし、それは聖書の民に何か優れたところがあったからというよりは、共同体からバラバラに離れていった人々が、聖書の視野の外に消えていったから、描かれていないだけなのです*。

 神から離れ、神の共同体から散らされた人々を罪人と呼ぶことは簡単ですが、その罪人を再び共同体に復帰させるために教会は何を、なすべきでしょうか。

 山谷や寿町に行って炊き出しをするべきでしょうか、あるいは国会前に集まって祈祷会をすべきでしょうか。

 しかし、教会はあくまでも信仰共同体なのですから、まず、私達の兄弟姉妹を顧みなければなりません。

 職場や学校で困っている兄弟姉妹や生活保護を受けさせるべき兄弟姉妹がいれば、まず、教会の名刺を持った役員が本人とともに出かけていって話を聞き、必要ならば、教師と複数の役員で改めて話をしに行く。

 恐らく、バラバラになっている人々を再び繋げていくためには、そういう具体的な働きを積み重ねていくことが必要なのではないでしょうか。

 そして、そのためには兄弟姉妹達からそういう困難に際して相談を持ちかけて貰えるような姿勢を示すことが必要なのではないでしょうか。

 そのような教会の働きに法的な後ろ盾や根拠を問われたら、昔、流行った映画「ブルース・ブラザーズ」のように自信に溢れて「We are the mission of God!」と言い放てば良いのだと思います。


*実際は共同体から追放されたり大地に飲み込まれたり、離散していった人たちのことが旧新約聖書の随所に書かれています。

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