ローマ市民サウロ


 ある姉妹が子どもたちに向けて使徒9:1~19のお話しを始めるに当たって「ユダヤ人社会の自信たっぷりのエリート、サウロ」と述べておられます。
 私自身もかねてからそのような認識を持っていましたので、原稿を拝見したときには、思わず大喝采を送りたい気持ちになりましたが、この際ですので、この点について愚考することを少し掘り下げておきたいと思います。

 それはパウロという青年の人間性の表面に浮き上がっていた高慢なエリート意識の下に、深い劣等感と絶望があったに違いない、と言うことです。

 パウロはローマの市民権を持っていて、それは金で買ったものではなく、その家系に受け継がれたものだったことが使徒言行録の終わりの方で明らかにされます。

 それは、彼自身がそれまでひた隠しにしてた、ということでしょう。

 ここからは、聖書に書いていない、私の推測になります。

 私達、プロテスタント教会で用いる旧約聖書は捕囚からの帰還で終わっていますが、外典を見るとアレクサンダー大王率いるギリシャ人政権のものとで民族自立を回復しようとするマカバイ戦争とその独立の回復の経緯を読むことが出来ます。

 その際に、ユダヤ人の取った戦略はギリシャの向こう側で力を伸ばしていたローマ人と連携することでギリシャ人を牽制しつつ、独立戦争を有利に進めるというものでした。

 そして、ユダヤ人の主権回復後の内部分裂の中からヘロデ大王の権力が生まれてくるのですが、その間、一貫してユダヤとローマの協調関係は維持されていましたし、ヘロデ大王自身もまたその師弟も青年時代にはローマに遊学して元老院議員達と太いパイプをつないでいました。

 ということは、ですよ。

 マカバイが戦っていた時代からヘロデの時代までの間、相当数のユダヤ人がローマとの友好関係を築くために往来していたはずであり、そのような人たちがローマの市民権を勝ち得ていたと考えることは無理のない推測だと思います。

 しかし、ローマの多神教は明らかに律法に反しており、まして、そのような民族と親密な交際を結ぶと言うことをユダヤ人達はどう考えたでしょうか。

 まして、結果からいうなら、マカバイ朝がローマの力を借りたことがきっかけでユダヤの地がローマの支配に落ちたとなれば、民族回復の英雄達はむしろ戦犯扱いされていた可能性も高いはずです。

 そのような空気のエルサレムにダマスコからやってきたパウロは一体何を求めていたのでしょうか。

 パウロは自らをテント職人と自称していたと使徒言行録は述べていますが、一介の貧しい職人がダマスコからエルサレムまで遊学して読み書きを習い、トーラの解釈を研究しようと思うでしょうか。

 むしろ、太宰治や宮澤賢治がその家業や伝統を深く恥じて東京に逃れていったように、パウロもまたユダヤ人としての民族的な自負とローマの協力者の末裔というジレンマに苦しんだ果てに、エルサレムにやってきたのではないか、と思うのです。

 洛中の京都人にはそのプライドの裏返しとしての「いけず」という心情があるようですが、おそらく当時第1級の国際都市であり、かつ、繰り返し敗北を重ねたエルサレム市民の間にも同じような屈折した心情があったはずであり、シリアの辺境からわざわざやってきた青年の民族の裏切り者としての出自など、彼らの詮索心の前では隠しようもなかったはずです。

 そのように考えるとサウロという名のアラム語、ヘブライ語、ギリシャ語を話す頭脳明晰な青年がユダヤ教を厳守し擁護するために暴力的なテロリストとなった心情や、やがて数十年後には逆にそのようなテロリスト40人に命を狙われた皮肉な現実が一本の糸に繋がると思うのです。

 そして、もう一度、サウロの回心の場面に立ち返るとすれば、そのような深い劣等感と絶望の中で暴力に溺れていく魂をイエスは見逃さなかった、ということであり、すべての人に神は逃れの道を備えてくださるという私達の信仰を確証する歴史的な事実を述べたものである、という理解に導かれるのです。


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