神を殺しに行く者


 現に約70億人の人間が地球上に生きていて、そのうちには、ホンモノかニセモノかは別として、なんらかの神を見上げる民がおそらくかなり広汎に分布している、と私達は経験的に知っています。

 ところで、始めて神を発見し、または神がその発見を与えた人間は誰だったのでしょうか。

 昔、読んだ小説に「ムーンゲイザー」、つまり月を眺める者という名前のお猿さんが描かれていました。

 仲間のお猿さんたちが、本能の導くままに食糧の確保と奪い合いに全力を消耗し、泥のように寝入っている中で、1匹だけまんじりともせず月を眺めているお猿さん、という描写でした。

 彼は自分たちを越えた存在である神の振る舞いを想像し、それを模倣することによって群れの中で力を付けていったに違いありません。
 そして、やがて彼を模倣するお猿さんたちの妬みを一身に集め、群れ全体を壊滅の危機にさらすような暴力の連鎖が生まれる中で、最も力弱い仲間にその妬みを象徴的に負わせた上で人身御供にしたはずである、そのよう文化的な装置、あるいはH.ベルクソンのいう「作話機能」を備えなかった群れは消滅したはずである、というのがR.ジラールの「模倣論」の私なりの理解で、とても説得力があると思います。

 しかし、この理解の核心は、群れの頂点に立ったケダモノが、やがて人間となって神を僭称し、ホンモノの神が邪魔になり、殺しに来ることを神は最初から知っていたはずである、という点にあります。

 つまり、神の発見が人間の力の成果か神の恩寵によるか、いずれであろうとも、神はやがて自分を殺しに来ることを承知の上で、神に象って人間を作り、様々な知恵と器用な手を与え、あまつさえ祝福さえしたのだ、ということです。

 そして、そのように考えることによって、旧新約聖書の物語が神殺しの闘争とその赦しと救済の歴史として一貫性と整合的を備えたものとして浮かび上がってくるのであり、かつ今日に至って、私達が神を殺しにいくかわりに、人間全体を滅ぼそうとしている現実とその理由が鮮やかに理解できるのだ、と思います。

2001年宇宙の旅〔決定版〕 - アーサー C クラーク, 伊藤 典夫
2001年宇宙の旅〔決定版〕 - アーサー C クラーク, 伊藤 典夫



ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント