腹ぺこイエス


1 日雇い労働者イエス

 ナザレからやってきた青年イエスの生活誌については、ルカ福音書の断片的な記述を除けば、具体的なことは分りません。
 しかし、ここ100年ほどの一部の国々を除けば、世界中の大部分の人々が貧しい小作農として自給自足的な暮らしをしていたことは分っています。
 だから、青年イエスがそうした小作農であった可能性も高いと思います。
 実際、農業に関する譬え話をたくさん述べているということは、そのことを裏付けているかもしれません。
 しかし、伝統的には大工だったと言い伝えていること、有力者に仕える奴隷についての譬え話もたくさんあること、などを考慮すると農機具や種籾も持っていない、農地すら貸してもらえないような、小作農以下の暮らしをしていたはずだ、と僕は考えています。
 具体的に言うと、土建や運輸の現場の力仕事、農繁期の重労働、豪農や豪商の家の祝儀不祝儀の下働きなどを日々転々とし、寡婦となった母や兄弟姉妹の落ち穂拾いにも助けられながら、かろうじて糊口を凌いでいたと思います。

2 「ぶどう園の労働者」イエス

 僕のささやかな経験から言うと、労働トラブルが多いのは、やはり短期間の有期雇用の場合で、募集条件と実際の労働条件が違うとか、働き始めてしばらく立つと労働条件を切り下げられるというのが、良くあるパターンです。
 次々と使用者が変っていけば、たちの悪い使用者に出会いやすいし、まして日雇い労働のように、日々、使用者と労働条件が変る場合にはトラブルが起きやすくなりがちです。
 それどころか、かつての山谷のような日雇い労働者の町では、ヤクザが早朝、街角で労働者を集めて建設現場に連れて行き、現場監督から受け取った賃金の一部をピンハネすることが常態でしたし、今では日雇い派遣の事業者が合法的なピンハネをしています*。
 そういう現実をを踏まえてマタイ20章冒頭の「ぶどう園の労働者」を読むと以下のような理解に逢着します。

 恐らくイエスはその日の仕事の当てもなく、薄明の広場に、空きっ腹を抱えてやってきたはずです。
 すると農園主がやってきて1デナリオンで働くように声を掛けます。
 聖書の説明によると1デナリオンは「一日の日当」相当だそうですが、1デナリオンが腹ぺこのイエスの腹を満たし、母や兄弟姉妹のお腹をいっぱいにすることの出来るだけの金額には届かなかった、と考えるとどうでしょう。
 それでもイエスと、広場に集まった空きっ腹の連中はその仕事をしないわけにはいかないのです。
 彼らは恐らく思ったはずです、「1デナリオン?あのきつい仕事に?人の足下見やがって・・・」と。
 そして夕方の支払いの時になって彼らの不満は爆発します。
 しかし、農園主は彼らの不満に誠意を持って答えることはしないし、後ろの方から目つきの悪いお兄さんが出てきたかもしれませんね。
 そのように読むときに始めて、「このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」、つまり「いつまでも偉そうにしていられると思うなよ!」という日雇い労働者達の怨嗟の声が聞こえてくるのです。
 
3 祈るイエス

 青年イエスは、広場に集まった労働者を集めて農園を襲撃し、農園主に復讐することはしませんでした。
 彼には、その選択肢もあったはずです。
 つまり、無力な神の御子としてではなく、テロリストのリーダー、バラバ(マタイ27:16ほか)として十字架に登る道だってあったし、それだけの能力と人望を兼ね備えた人物だったと思います。
 しかし、彼は立ち上がると広場に集まったたくさんの貧乏人と一緒にエルサレムに向かって歩き始めました。
 そして、ついには5,000人の大勢力に膨れ上がりますが、やがて食べ物に事欠きはじめ、それは行き倒れの旅の様相を呈してきました(マタイ14:13ほか)。
 イエスと弟子達13人にパン5つと魚二つしかない、ということはこの時点でイエス達も腹ぺこだったでしょう。
 マタイ14:14の「深く憐れみ」というのはギリシャ語ではハラワタちぎれるほど、という感じなのだそうですが、そのハラワタは、生まれ落ちたその日から一度も満腹したことないような、とことん筋金入りの空きっ腹だったと思います。
 5,000人の筋金入りの空きっ腹を前にして、自分の空きっ腹すらどうにもできないイエスの姿と思いを僕は想像します。
 大群衆を率いて最寄りの町を襲撃し、豪農や豪商が蓄えている食べ物を略奪することが、弟子達の頭にもよぎったはずです。
 多少の犠牲者は必要悪である、と互いの顔を見合ったかもしれません。
 しかし、イエスは、神の国は近づいている、祈ろう、と言った。
 年のせいか、僕はその時のイエスを思うと目頭が熱くなります。

 僕らの祈りはしばしば聴かれないけれど、この時のイエスの祈りが聴かれたということだけで、十分ではないかと思うのです。
 このイエスの祈る姿を知った僕らが、今日、ちょっとだけ暴力から愛へ、裁きから赦しへ向けて作り替えられる、その僕ら自身の姿の中に神の支配を発見するのです。

菜の花.JPG

*ちなみに、労基法第6条は中間搾取を禁止していますが、労働者派遣は「他人の就業に介入」したものではない、自己の労働者の就業に介入したものであるから中間搾取ではない、というのが同法の一般的な解釈です。

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