巷説(ちまたのうわさ) 使徒ヤコブの裏切り


1 お断り

 これから述べることは私の穿ちすぎた空想の産物です。
 いかなる、聖書的な証拠や神学的な論証に基づくものではありません。
 ただただ、今日的な常識に沿って考え出したひとつのフィクションとしてお読みください。

2 使徒言行録を深読みする

 さて、使徒言行録21:17以下を日誌風に書くと以下のようになります。

 第1日目 パウロたち一行がエルサレムに到着
 第2日目 ヤコブを訪問
 第3日目 神殿に参詣
 第9日目 パウロ捕縛され、兵営に保護
 第10日目 最高法院で弁明、引き続き兵営に保護
 第11日目 パウロ暗殺の陰謀の内報、夜陰に乗じてカイサリアに護送

 ここで気になるのが12-13節の記事です。
「夜が明けると、ユダヤ人たちは陰謀をたくらみ、パウロを殺すまでは飲み食いしないという誓いを立てた。このたくらみに加わった者は、四十人以上もいた。」

 この事件が起こったのは、紀元後50年代の末頃のことで、ティトゥスによる攻囲戦まで10数年、恐らくエルサレム市内の雰囲気はイエスの受難の頃よりも、一段と緊迫したものだったと思います。
 市内のあちこちでユダヤ人の党派同士の小競り合いがあったり、ローマ兵やユダヤ人要人の暗殺の噂がまことしやかにささやかれていたでしょう。
 また、テロリストグループが恒常的に潜伏していた可能性も高いと思いますし、まして、サンヘドリンに根回ししたということですから、単なるヤクザものの集まり以上に、キチンと組織されたグループだったかもしれません。
 一方、ルカの記述のどおりなら、第9日目の出来事をきっかけに、第10日目と第11日目で組織作りと暗殺の計画が成立したと言うことになります。
 しかし、すでに組織が整ったグループだったとしても、階級に支配された軍隊ではないはずであり、わずか2日で40人を超える命がけの男どもを糾合し、有力者に説明した上でサンヘドリンに根回しし、しかも、パウロの姉妹(女性ゆえに低くされた社会的地位にあって極秘情報に接することが困難だったはずなのにもかかわらず!)の耳に入るというのは、私には不自然な印象です。
 しかも、千人隊長が甥っ子を物陰に連れ込んで話を聞いた上で、一言も疑念を差し挟んでいませんし、速やかに護送を決断しています。
 また、護送に当たっては、人目を忍んだばかりか、総勢500名近くの護衛をつけたということは、かなり強力な軍事力による襲撃を想定していたということでしょう。
 もちろん、ルカの記録した数字に白髪三千丈的な誇張もあるでしょうが、そもそも、12節の「夜が明けると」という記事そのものに、どの程度の信憑性があるでしょうか。

3 暗殺作戦をヤコブが知っていたら・・・

 さて、ここで一つの仮説をおいてみます。
 つまり、ルカは「夜が明けると」と言っていますが、この記事が誤った情報によるものだとしたら、または、これから述べるような疑惑を封じる意図のもと、事実に反する記事を残したのではないか、という仮説です。
 つまり、パウロ暗殺計画は、第9日目の神殿の騒動より、はるか以前から進められていた、と考えるとどうなるか、少なくとも、そのように考えれば、第9日目の神殿の騒動も最初から仕組まれたものとして、納得がいきます。
 それどころか、千人隊長が甥っ子の情報を素直に信じたことも、厳重な護衛を付けたことも、あらかじめエルサレムの京雀のあいだに噂が飛び交っていたと考えれば、これも説明がつきます。
 暗殺計画立案の正確な時期やプロセスはもちろん分りませんが、パウロがエルサレムに到着した時点で、暗殺計画は具体的にスタートした可能性が高く、それ以前からパウロ撃つべしと言う声が高かったことは、人々に広く知られていたと思われます。
 パウロがエルサレムに向かう道中で、同労者たちが必死にパウロを引き留めたのは、そうした緊迫した情勢を知っていたからと考えることもできるでしょう(勿論、聖霊の啓示がその情報を否定しなかった、という言い方もできるでしょう)。

 かくして私の最大の妄想に逢着するのです。
 つまり、パウロに神殿参詣を進めたヤコブがパウロ暗殺計画を知っていたはずだ、ということです。
 パウロの身内が勘づいて情報収集していたような話を、エルサレム教会の長老のなかの長老であるヤコブが知らなかったはずはないでしょう。
 ヤコブが、パウロ暗殺に積極的に関与していたのか、消極的に黙認していたのか、未必の故意と言えるかどうか、それは完全に謎です。
 いずれにしても、彼の指示がパウロ捕縛のきっかけを作ったのは事実であり、ひょっとすると、その騒ぎの中で落命する可能性もあったと考えると、ヤコブは一体、なにを考えていたのか、その真の意図を疑わざるを得ません。

4 欺瞞の源泉としての発展史観

 エルサレム教会が抱えていたダブルスタンダードについてはすでに9月19日の記事で指摘したところですが、ここで興味深いのはマルクスの2段階革命論です。
 つまり、マルクスが理想的な社会の実現が段階的なステップを踏んで実現すると考えたように、ヤコブたち初代教会も旧約以来の伝統に沿って、まず、律法遵守の成果として子なるキリストの再臨が訪れてユダヤ人の救済が実現し、その後、父なる神のなんらかの働きが実現して、異邦人を含めた、最終的な救済が行われると考えたのではないか、と言うことです。
 そして、そういう意識で福音書を読むと、随所に2段階革命論があらわれている、と思います。
 ここで私が強調したいことは、私たちは段階的に社会が発展(ひょっとして弁証法的に)して、やがて理想の社会が訪れると考えることしか「できない」という制約に囚われているのであり、ヤコブたちやマルクス、レーニン、スターリンの2段階革命論しかり、アベノミクスしかり、ということです。

 ソシュール言語学では連辞性といいますが、人は、幾つかのことを併行して考えることは出来るものの、言葉にしてこれを語るときには、一続きのもの、一本のお数珠のようなもの、としてしか語ることができません。
 勿論、私たちは頭の中にあるものを何とか表現したいので、例えば、数学は独特の記述方法、つまり様々な記号という約束事を何回か重ねた上で結論を記述する、複雑な記述方法を開発せざるを得なかったということでしょうし、プルーストやジョイスの独特の文体も、連辞性を乗り越えようとする試みだったと言えるかもしれません。

 そうした、連辞性の束縛という視点を持ち込んで考えると、私たちが発展だの開発だのという発展史観の罠に落ちるのは避けがたいところであり、聖書が繰り返し指摘する偶像崇拝の真の姿は、まさにそこにある、と気づかされるのです。

5 受肉した神の言葉は連辞性を超える

 しかし、ナザレのイエスは、神のひとり子として神の言葉を持っていたので、連辞性の罠に縛られた発展史観によることなく、直ちに救済と終末を実現できると述べ、実際に5千人給食や癒しの奇跡などによって、その範を示したのです。
 言葉ではなく行いによって、あるいは言葉とともに、行いを通じて、救いの実現を発展史観抜きで目に見える形で証したのに、福音書に書き落としていくときには、再び人間の言葉として、連辞性の中に閉じ込められてしまう結果、様々な不整合や矛盾が生まれたのです。
 そして、そうした矛盾や不整合が指し示すのは、ナザレのイエスを十字架に追い上げたのは、まさにユダヤ伝統の2段階革命論であり、連辞性という目に見えない束縛への無理解であるということであり、そこに現代の私たちにも通ずる罪の本質があるのです。
 そのように考えると、北欧の少女が「たわごと」と決めつけた、今はやりのSDG’sも、開発という偶像崇拝を内包し続けている限り、まさしく石や木を拝むに等しい「たわごと」であり続ける、ということが見えてくると思います。

6 ヤコブを責められない

 今年の夏にいただいた、東神大の学報305号に芳賀先生が某社会学者を引いて「意味」の生成について、神学的アプローチを語っておられました。
 そうした言語学的な、ひいては構造主義的なアプローチについて東神大の先生が語ったというのは画期的なことでしたが、しかし、少しでも哲学をかじったことのあるものなら、マジ100年遅い!、と嘆かざるを得ません。
 初代教会のヤコブ以来、教会は2000年にわたって神の言葉を人の言葉に閉じ込めて、キリストを裏切り続けてきたと思います。
 一方、哲学は、2度の世界大戦の悲惨やソ連や東欧における広範な人権抑圧を踏まえながら、ソシュール言語学やフッサール現象学を導きの糸とし、デリダ、フーコー、ウィトゲンシュタイン、オースティン、ホワイトヘッドなどの業績を産み出し、記号と言語、歴史と神話の牢獄を打ち破り、過去の伝統を乗り越えようとしています。
 しかるに、神学の分野では、そうした哲学の成果を受け入れるチャンスは繰り返しあったはずなのに、現状は上に述べた芳賀先生の論考が関の山、という惨状にあります。
 ヤコブの裏切りは、単なる妄想に過ぎないかもしれませんが、教会全体の閉鎖性や、神学的引きこもりという現状は、妄想では済まされない問題です。
 なぜなら、それは今なお教会がイエス・キリストを裏切り続けるかどうか、すでに終末が到来し、救済が完成しているのに、人間をそこから遠ざけ妨げているのは人間であると言い表すか、その点に直接、関わっているからです。



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