牽強付会


 柄谷行人さんの「世界史の構造」をお奨めいただいたので、図書館から借りて読み始めたのですが、残念ながら、最初の方のわずかひとつまみ、「序章」を読み終わったところで、ため息をつきながら図書館に返しに行ってしまいました。

 その理由は大きく二つあります。

1 理由その1~人を見ない

 「現在の先進資本主義国では、資本=ネーション=ステートという三位一体のシステムがある。それはつぎのような仕組みになっている。先ず資本主義的市場経済が存在する。だが、それは放置すれば、必ず経済的格差と階級対立に帰結してしまう」

これは、序章の前にある、「序説」の冒頭にある一言葉です。

 経済格差が階級対立を生み出す、という主張でまず、躓いてしまいました。

 経済格差に搾取され、苦しむ人々は階級対立や、まして階級闘争に精出す余裕もないままに、長時間残業やダブルワークに辛苦しながら、少しでも多くの稼ぎをえようとするものです。

 一生懸命働いて腰痛になってマッサージや鍼灸にかかり、その治療費を稼ぐために、またムリして働いては治療に戻ってくようなことを繰り返しているのです。

 また、先日、東芝のOBに伺ったのですが、まだしも経営が順調な頃でさえ、工場の管理職は社員に月最低30時間の残業を確保すること(つまり本給だけでは生活できないので)が責務だったというのです。

 思うに、アマルティア・センの下記の言葉は、その間の事情をとてもよく見ていると言えるでしょう。

「希望を持てないほど虐げられた人々は、急激な変化を求める勇気を欠き、自分自身の願望や期待を、実現可能なわずかばかりのものに合わせてしまう傾向がある。彼らは、小さな慈悲にも大きな喜びを見いだせるように自分自身を訓練しているのである。」 「正義のアイデア」P406

 そうした苦しむ人々に目を向けない、現実の社会を見ようとしない柄谷さんの姿勢に、ついて行けないものを感じてしまったのです。

2 ブローデルについて

 柄谷さんは、資本、ネーション、ステートという「社会構成体の歴史的変遷を見ること、さらに、いかにしてそれらを揚棄することが可能かを見届けること」、つまり歴史の必然的な発展過程を見定めること、がテーマであると述べています。

 しかし、歴史は発展するものでしょうか、まして必然的な法則に従って。

 実は私はそのような考え方には否定的で、そのことをブローデルに学びましたが、奇妙なことに柄谷さんは序章の最後の方ブローデルの「物質文明・経済・資本主義」に言及しているのです。
 ブローデルは、この分厚い本で、16世紀から18世紀の歴史的事実を、「物資文明」、「経済」、「資本主義」という三つの引き出しが重なっているキャビネットに整理して並べてみせた上で、歴史理解としては見通しが良いことを示しつつも、あくまで歴史理解のモデルであって、逆に歴史的発展の必然性を裏付けるものではないと主張しているのです。
 また、柄谷さんが「資本=ネーション=ステート」という法則性を伴った関係があるという見立てをしているのに対して、ブローデルは歴史研究を通じて、「資本」つまり商人と「国家」つまり権力者にはそれぞれの思惑があって、互いに対立したり利用し合ったり、その時々の泡沫のような関係にすぎないとし、体系的な関係性を否定しているのです。

 ところが柄谷さんには、そういうブローデルの史観に反論しようとする意図ではないようであり、ブローデルの資料の扱いとしては意図不明、と言わざるを得ません。

 そして、一番引っかかったのは、彼が巻末の注でブローデルの本について「物質文明・経済・資本主義 交換の働き 1」と記載していることなのです。

 ブローデルのこの本は日本語版ではハードカバー全六巻で(試しにメジャーで測ったら幅20センチ強です)、そのうち、「交換の働き 1」は、第3分冊にあたり、「経済」について述べている第二部の前半部分にあたります。

 ひょっとして柄谷さんは、この第3分冊しか読んでいないのではないか。だって、幅20センチ強もある、この手強い難物を読んだ人なら、普通は第○分冊の副題なんとかで、ページはどこで・・・と注記すると思うのです。
 だからこそ、ブローデルの発展史観の拒否に何も答えていないのではないか・・・そんな疑念がムクムクと頭を持ち上げてきて、とても読み進める気持ちにはなれませんでした。

*余談ですが、ブローデルもウォーラーステインも、最初に読んだのは30年ほど前でした。おそらく原著の公刊から数えると50年近くがたっているでしょう。今日的にマルクスを読み直すという柄谷さんの意図にしては、50年前の本に論拠を置くと言うこと自体、そもそも時代遅れという気もします。まぁ、「物質文明・経済・資本主義」の日本語訳の第1巻の出版が1985年、第6巻が1999年という事情はあるにしても・・・

3 つまり・・・

 柄谷さんは、ご自分の頭の中にあるストーリーを語りたくて、それだけで手一杯なのかもしれません。
 だから、現実の中で苦しむ人々の姿や、ブローデルが6巻目の巻末で語る諦念に耳を傾けて、ご自分のストーリーが成立しなくなることを恐れたのではないでしょうか。
 目に見えないものを見いだそうとすることと、自分の見たいものしか見ないということは全く逆です。
 私としてはそのような独りよがりにお付き合いしたい、とは思えなかったし、彼の議論を導きの糸にして思索を深めようとすれば、やがてはファリサイ派のような自己欺瞞に陥るに違いありません。

「物質文明・経済・資本主義」

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