ジェンダーは誰のために必要か


1 まずは本のご紹介

 川口恵美子さんの「戦争未亡人  被害と加害のはざまで」(ドメス出版、2003)を読みました。
 内容を簡単に紹介すると、昭和13年頃からサンフランシスコ講和条約までの期間の女性史で、タイトルにある通り、戦争によって夫を失った女性たちの辛酸を描いたものです。

 しかし、この本の真に驚くべき点は、ほぼ100年前の歴史であるにもかかわらず、そこに描かれている女性たちの家族への従属や社会が提示する理想像の自主的な追求の姿が、今日の女性たちとまったく変わらない点にあります。
 だからこそ、と言うべきでしょうか、戦後の新聞の身の上相談で回答者が「『家』より『人』が大事」と答える姿(P128)は、今日、北村年子さん*1が相談を寄せる女性たちに対して、まず自己肯定を、とお奨めする姿にほぼ完全に重なり合っています。

 今日でも、ご両親に反対されて結婚を逡巡する女性が私たちの身の回りにたくさんいますし、身だしなみという言葉に拘束されて朝のお化粧に時間を奪われる一方で、様々な意匠のネイルを楽しむ女性の姿もあります。
 また、イスラムの女性たちが性器切除に苦しめられながらも、イスラム伝統の服装に誇りを持ち、オシャレを楽しんでいる姿は、時間と空間を超えて変わらない、それどころか、変わることを受け入れない、何かを指し示しています。

 女性の社会的な劣位はなぜ変わらないのでしょうか。あるいは、こう問うべきかもしれません、女性の産む性としての苦しみと喜びは変えようがないものなのでしょうか。

 男女の平等を求める最も古い主張は、管見の限りでは民数記27章、家族の中の男子が死に絶えた後に土地の分与を要求したツェロフハドの娘たちの記事だと思います。
 その後、女性の社会的地位の向上を求める主張の先駆者としては18世紀のメアリ・ウルストンクラフトが有名のようですが、私にとっては、やはり1960年代の世界的な高度成長期に先進諸国に拡大したウーマンリブ運動が強い印象と記憶を残しました。

 しかし、その成果は、上述のとおりです。

2 20世紀後半の二つの顔

 20世紀後半は、二度にわたる世界大戦の痛みを踏まえた大衆運動の時代でした。
 フランスにおける5月革命、米国の公民権運動、日本では安保条約を巡る学生運動などが大きな歴史的な役割を果たしましたし、上述のウーマンリブ運動もその一つでした。

 しかし、大衆運動が華々しい成果を上げている、その傍らの学問の世界に目を移すと、「変わらないこと」、そして、「変えられないこと」の発見という悲観主義の時代でもあったようです。

 例えば、フランス。記号論や構造主義哲学は、それまで確信されていた個人の自由の背後に潜む歴史と社会を明らかにしました。
 また、英米。ウィトゲンシュタインらによって開かれた分析哲学が明らかにした「語り得ないもの」や「トートロジー」の存在。
 あるいは、哲学や思想の外側における、アローの不可能性定理や市場の一般均衡理論の行き詰まりと外部不経済の発見、などもそのような悲観主義の一環でしょう。

 先進国の大衆運動が、工業資本主義と高度経済成長が食卓に備えた勝利の美酒に酔いしれている間に、旧植民地の人々や大衆社会の周辺的な人々に目を向けた知の冒険者たちは知の限界の明確化と、さらなる探求に向けた準備を進めつつあったということであり、21世紀の活路は、彼らの業績を学ぶところに開かれているはずだと思います。

3 女性の劣位が意味するもの

 そのことを踏まえて、かつ、冒頭にご紹介した本や3000年前の民数記の記事も踏まえつつ、女性の社会的な劣位を「変わらないこと」、「変えられないこと」として考えるとどうなるでしょうか。

 一つには女性の劣位が永久不変の構造ならば、その上に社会全体を構築し、女性を搾取抑圧し続けることを正当とする考え方があり得るでしょう。
 現状、多くのイスラム諸国ではそのような主張が行われているようであり、工業化された商品経済資本主義の悪弊を拒絶するという意味では一つの有力な選択肢かもしれません。
 しかし、それでは20世紀までの女性の地位向上に向けた大衆運動の功罪双方を否定し、葬り去ることになってしまいます。
 そのようなことも念頭に置きながら、ジェンダーは誰のために必要なのか、と問うてみたいのです。

 イヴァン・イリイチ*2は前資本主義的な社会においては、女性の居場所と男性の居場所、女性の道具と男性の道具が決まっており、そうして男女が共働して社会の安定と継承を支えていた、と主張しています。

 つまり、イリイチの主張を私なりに要約するなら、・・・・

①女性の劣位が社会の構造としてビルト・インされていることを直視すべきであり、逆に、そのことを通じて、彼女たちの性に賜物として与えられている働き、例えば、産み育てること、年寄りや病人を世話したり、心弱った人たちを励ます、そして死者を弔う、という働きなしには社会が安定的に存続できないことを確認すること、
②逆に、工業資本主義は性を商品化する(例えば化粧品やファッション産業、マスコミなど)一方で、ジェンダーを否定して労働力として商品化した上で市場に大量供給して労働条件を引き下げようとする(いわく、女性に優しい多様な働き方云々)ことで、性を伴った全人格的な存在としての人間とその権利、人権を否定しようとすること

・・・ということだったのです。

 真摯に女性の地位向上に働いてきた方たちには大変気の毒ですが、イリイチの指摘を無視した女性の地位向上運動は、結局、資本主義の思うつぼに無反省に引き込まれる一方で、女性の劣位を改善できない、という結果になったのは、その意味では当然の結果だったと言えます。

 だからこそ、ジェンダーを差別とごっちゃにして否定するのではなく、ジェンダーは誰にとって必要なのかを問うべきだ、と主張したいのです。

4 まだ見ぬものに価値を置く~希望としての「ジェンダー」

 私の答えは、ジェンダーが必要なのは、まだ見ぬ次の世代、そしてその後に続く世代のため、というものです。

 そして、その上で、次の世代に引き継ぐべきものを見極めて大切にすると共に、私たちが破壊し混乱させてしまったものを元に戻すこと、を目指すべきだと思うのです。

 そして、そのために、男も女もそれぞれの役割分担に応じて社会を次世代に引き継いでいく責任を追っており、そのことを私たちに教えるものとして、ジェンダーの中に希望を見いだすべきだ、と思うのです。

 これをキリスト教的に言うなら、男も女もLGBTであっても、与えられた一人一人の命と、その命を包み込んでいるこの世界全体を神さまからの大切な預かり物として管理する責任を追っているのであり、今、共にそれらを担っている人々に対してはもとより、それらを引き継いでいく人々に対しても必要な賜物が与えられている、ということになるでしょう。

 責任である以上、一定の束縛や従属と達成の喜びがあることは当然であり、自己肯定と自己否定、自由意志と社会的強制が個人の中に混在し続けるでしょう。

 念のためにいうならば、この主張は、女性を産む性に束縛し、かつての「家」制度の復活を提案したり、子供を設けない、授からない人たちを「非生産的」と非難する意図ではありません。

 むしろ、この世界に対する責任を共に担うためのジェンダーという視点に立つことで、環境保護*3や経済的格差解消の問題とも一貫性のある束縛と自由の、ほどよい切り分けを得られるのではないか、と考えるのです。

 例えば、食物連鎖の頂点に立つ私たちは、食物連鎖全体に責任を負うこと、さらに優位にあるもの(先進諸国)に課せられる劣位にあるもの(先進諸国以外の国や地域)への奉仕の義務を確認すること、そのために共感とか共苦の感覚を育てること、積極的に重荷を担う優しさを育てること、そんなことが演繹されるでしょう。

 ちょっとキャッチフレーズ的にいうなら、すべての判断の基盤に置くべき価値は、目に見えない「命の連鎖」である、それが私の主張です。

5 み言葉に聴く

「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。」(ヨハネの手紙一4:19)

 人はすべて母親から産まれますが、人がすべて母親から愛されるわけではありません
 しかし、母親の愛の記憶が一つもないという人は極めて少数だろうと思います。*4
 そしてもし、母親という女性が一度でもあなたに優しくしてくれたのなら、そして、さらなる優しさに飢えつつ日々を過ごした記憶があるなら、あなたも他人に対して、特に劣位に追い込まれやすい女性に対しては、意識して優しく、敬意を持って接すべきである、要するにそういうことがこの世の創めからの真理なのでしょう。



*1 FMヨコハマの朝の番組「ちょうどいいラジオ」の第2,第4火曜日に登場するフリーライターさんです。神奈川県内など各地の講演でも引っ張りだこの人気者です。

*2 今、手元に、彼の「ジェンダー」(岩波書店刊)がないので「考える意味」(藤原書店刊)の第6章に沿って紹介しています。ちなみに、彼が80年代初めに「ジェンダー」を公刊したときには、フェミニストたちから、いわば石打の刑を受けたにも関わらず、性差別を表す用語として「セクシズム」に変えて「ジェンダー差別」という言葉が一般化したことに私は強い違和感を覚えたものです。

*3 ロマ書8:22「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。」を私はこの観点から読んでいます。

*4 そのような少数の方々であっても、命を享けて生きている以上、この世を受け継ぎ、受け渡す責任を負っている点では、同じです。問題はそのことを受容できるよう、より丁寧な説明を要するということでしょう。



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