「あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける」とは


  「法律に抵触しないなら、いかなるビジネスでも認められるのか」という問いには、どのような答えがあり得るでしょうか。

 肯定的な立場からは、例えば以下のような答えがあり得るでしょう。
 肯定意見その1 法律や判例は、国民の自由を確定するためにあるのだから、これらに抵触しない限り、当然に、認められる。
 肯定意見その2 もし抵触していても罰則規定がないならやがて野放しになる筈であり、ビジネスチャンスを逃すことはできないのだから、認められる。
 肯定意見その3 もし法律の規定ぶりが曖昧だったり、罰則規定が実態として運用されなかったりするなら*やがて野放しになる筈であり、ビジネスチャンスを逃すことはできないのだから、認められる。

 逆に否定的な立場からは、例えば以下のような答えがあり得るでしょう。
 否定意見その1 ある新しいビジネスが本当に法律に抵触しないかどうかは、最終的に最高裁まで争って決まるのであるから、冒頭の主張は誤りである。
 否定意見その2 法律が将来起こりうるすべてのビジネスを想定して作られているわけではないし、法制定時の想定を超える、規制すべき未知のビジネスもありうるのだから、冒頭の主張は誤りである。
 否定意見その3 ある新しいビジネスが社会的に認められるためには、単に適法であることだけではなく、社会正義への適合や公正さが求められるはずであり、冒頭の主張は誤りである。

 このように色々と考えていくと、実は、冒頭のような問いを立てた時点ですでに否定意見を含意しており、おそらく肯定意見その2やその3のような人々なら、そもそも冒頭のような問いを立てることすらしないでしょう。

 では、私はなぜ、冒頭のような問いを立てるのでしょうか。
 それは「あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける」詩編23:4cからです。
 もちろん、これじゃ説明になっていませんので、ゆっくりお話しします。

 人は子供としてこの世に産まれてから、様々なルールに従うことを身につけながら成長していきます。
 当然、その過程で、ルールに従わなかった時の困難や痛みも学ぶでしょうが、同時に、周りの人々と一つのルールを共有することのもたらす安心感や連帯感、そこから来る喜びも身につけるでしょう。
 そして、長ずるに及んで、痛みのゆえではなく喜びのゆえに、積極的にその共同体のルールに従うことを選択するようになるでしょう。
 イスラム世界の女性たちが、西欧社会から見れば隷属の象徴のようなイスラムの伝統的な衣装に誇りを持つのも、日本の女性たちがお振り袖に憧れ、いそいそと着付け教室に通うのも、そのような喜びの延長上にあるのだと思いますし、上掲の聖句もそのように読むと腑に落ちるはずです。**
 しかし、法律が、すべて正しいものではあり得ない以上、法律に従うことが、喜びをもたらさない事態が生じてくるでしょう。
 つまり、私が冒頭のような問いを立てるのは、そこに「あなたの鞭、あなたの杖」ではない、なにか別のモノが、私たちに振り下ろされるようとしているから、ということです。

 そして、さらに問うべきは、なぜ、正しくない法律が作られるのか、でしょう。
 それは法律を作る私たちが将来を予見しても限界があるから、それゆえ法律には誕生から成熟、死滅というライフサイクルがあるから、と言うこともあるでしょうが、それ以外にも理由があるように思われます。
 それは、例えば、ビジネスチャンスに乗り遅れるな、とか、経済成長が鈍化すると大変なことになるぞ、とか、中国や北朝鮮がいつ攻撃してくるか分からないぞ、ロシアだってアメリカだって、国際安全保障など信ずるに足らないんだ、などの主張によって人々の不安をあおり立て、私たちを誤った方向へ導こうとする人々がいるということです。
もちろん、いつの時代にも何らかの危機があるし、それは避けられないけれど、だからこそ、その危機の向こうにある、より高度な価値を私たちは追求しなければならないはずです。

 あぁ、本当のことを言うと、私は見てきたのです。
 実定法に違反するビジネスを堂々と展開し、最終的には、その違法なビジネスを合法化するために特別法を成立させた起業家や学者や政治家や官僚たちを。
 法律は正義によって作り出されるものではなく、搾取を空しく誇る人たちが自己を正当化するために作り出すこともある、という現実を。

 だからこそ、私は繰り返し、冒頭のように問い続けるのです、主の裁きに依りたのみながら。


*典型的な例としては入管法の別表1の規定や2015年改正以前の派遣法の26業務の規定があります。
**念のために言い添えますが、伝統的な慣習やルールが常に正義を含むと主張するものではありません。それらの慣習やルールでさえもライフサイクルを持っているはずなのに、例えば女性を抑圧的な地位に押し込めたいと願う権力者がそのライフサイクルの進行を暴力を用いて押しとどめようとすることもあり得るからです。

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