まだ見ぬ「ワクワク」

 L.ウィトゲンシュタインの本を読んでいると「ミスリーディング」という言葉が何度も出てきます。また、H.L.A.ハルの本を読み始めたら、やっぱり「ミスリーディング」という言葉が何度も出てくる。
 訳者が違うのに、あえて文字通りに訳したのは、日本語に適切な訳語がない、ということを暗に伝えたかったのだろうと思いますが、それだけだろうか。むしろ、ウィトゲンシュタインやハルには見えていて、僕にはまだ見えない、簡単には言葉に出来ないようなワクワクな思惟の空間があると示唆しているのではないか(聖書がまさにそうであるように・・・)。


 昨日は柏教会の「ワーシップに親しもう」という集会に加えていただきました。
 100名を超す人々とワーシップソングを大合唱して、大変、心弾む楽しい集会でした。
「ワーシップに親しもう」チラシ

 * インターネットTVのCGNTVの方が取材に見えていましたので、そのうちオンエアされるかもしれません。その際には是非、ご覧下さい。

 そして、一晩明けて思へらく。
 おそらく、この集会の本当の意義は、僕らにはまだ見えていない無限の可能性が開かれていることを示したところにあるのではないか。
 音楽を用いた伝道に、なおこれだけの可能性が開かれている、ならば、例えば会堂を伝道に活かす(大規模修繕できれいにしたり十字架に電飾したり)とか地域活動(子ども食堂や自習室としての開放したり)にも可能性が開かれているはずである。
 また、それ以外にも、まだ見えていないけれど、必ずやワクワクの可能性が開かれるに違いない。
 まして主によって支えられ守られてきた伝統的な礼拝の中にも無限の可能性が残されてだろうし、先生方はそのことを信ずるからこそ日夜、説教準備に苦闘しておられるに違いない、と思います。

 教勢が低下しているのは、教会と教会を包摂する社会が主の目に悪とされることを行っているだけのこと。
 しかし、集会の中でもお奨めがあったように、悪を裁くのは主のなさることであって、私たちの役目ではないし、エルサレムに残される人たちが必ずいる。
 だからこそ、私たちのなすべきことは昨日、示されたような素晴らしい可能性に心弾ませて、さらに様々な可能性が開かれる時をワクワクしながら祈り、待つことにある、と確信したのでした。



 この記事を書いた人:日本基督教団 逗子教会員 伊藤慎吾

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