「ニーバーの祈り」が教える21世紀



「変えることのできるものと、変えることのできないものとを識別する」というニーバーの祈りについては、昨年9月に一度、愚考するところをアップしましたが、もう一度考えてみようと思います。

 これは祈りですから、必ずそれは聞き届けられると私も信じます。

 しかし、現実には、聞き届けられて正しい区別が与えられるまで待てないという人が圧倒的多数でしょう。

 そうすると、世の中で行われる判断は、次の4つのいずれかの帰結を辿ることになるでしょう。
① 変えていいから変えた部分
② 変えていいのに変えなかった部分
③ 変えちゃいけないから変えなかった部分
④ 変えちゃいけないのに変えちゃった部分

 仮に、変えていいものと変えちゃ行けないものが半々(以下「確率A」)、正しい選択をする場合と誤った判断をする場合も半々(以下「確率B」)とすると、以下の図のようにおのおの25%づつのパイシートを書くことが出来ます。

パイシートの画像


 このうち、①と③は正しい判断、②は誤りだけど結果オーライの判断となりますが、④については、誤っている上に、結果的にも問題となる判断、と言うことになります。

 確率Aと確率Bをどの程度に置くのが適切か分からない以上、大数の法則によってそれぞれ50%に収束すると考えるべきなので、私たちは4回に1回は必ず間違った判断をすると考えるべきだと言うことになります。

 もちろん、間違った判断をしたとしても、もう一度やり直せる場合もあるでしょうが、取り返しのつかないような場合もあり得ます。例えば原子力発電所の事故のような場合がそうでしょうし、リーマンショックの引き金になったデリバティヴ債のような場合も同じです。

 そのような間違いを犯す比率がどのくらいかは誰にも分からないので、これも大数の法則に従って50%と考えると、私たちは4回に1回は間違った判断をし、かつ、そのうち2回に1回は取り返しのつかない失敗をすると、確率が教えてくれる、と言うことになります。

 これを毎年毎年、例えば200年間、繰り返していたらどうでしょうか。

 上の図で言うと④の半分に当たる取り返しのつかない失敗の結果でで立錐の余地もない、という状況になるでしょうし、20世紀の技術や経済の急成長の結果、21世紀になって気がついたら、まさしくそうなっていた、と言うのが現状だと思います。

 ニーバーは20世紀の人でしたので、まだまだ、取り返しのつかない失敗だらけ、という惨状を目にすることなく生涯を閉じることが出来たでしょう。

 しかし、今の私たちは原発事故とその後の福島の厳しい現状、廃炉に必要な費用、あるいは国債残高100兆円突破、世界レベルでの貧富の格差の拡大、などの現状を見ると、いわゆる近現代における失敗がうずたかく積み上がって、正直、どっから手をつけるやら、という状況にあります。

 そして、最大の問題は、このままでは自分の子供や孫たちに大きな負債を残して死んでいかなくてはならないと言うことです。

 私たちだけの責任ではないけれど、なんとするために、私たちが少なくとも第一歩を踏み出さなければならない。
 
 ニーバーの祈りを通して20世紀の重要な歴史的意義を学ぶことによって、21世紀の私たちに与えられた責務を教えられるのだと思います。

 ニーバーの祈りは否定しませんが、ニーバーの、まだしも幸せだった時代は、終わったのです。


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