祈祷会で聖書を読む


 昨日の祈祷会は列王記上13章を読みました。

 ざっくりかいつまむと、北王国の初代の王ヤロブアムが自ら築いた祭壇に香を献げた行為をとがめ、主がお怒りであると告げた「神の人」が、もう一人の預言者の軽はずみな言葉の故に死んでしまう、という正直、その意図を図りがたいようなお話しです。

 そのお話しについては例えば・・・

読み方その1 偽預言を戒めたお話し。
読み方その2 神さまの預言は誰もその実現を妨げることはできない、と言うお話し。
読み方その3 ヤロブアムの手を治療した神の人を死なせることで、主とヤロブアムの和解はあり得ないことを宣明したお話し。

・・・などなど、色んな読み方があるだろうと思います。

 私としては、皆さんと聖書を読んで、上記のような様々なメッセージを発見できることは大変有意義だと思います。

 また、いずれか一つを正しい「読み」と決めることは不可能であり、にもかかわらず、自己の正当を強く主張したとすれば、それは主の前に傲慢だとも思っています。

 幸い我が教会の祈祷会に集まる兄弟姉妹の中には、そのような傲慢な方はおられないのですが、ただ、なんとなく、自分の視点、人間の視点で解釈しようとするところがあるように感ずる時があります。

 神さまのメッセージをどう読み取るのか、人間の基準に照らせば無茶苦茶なことなんだけど、なぜ、神さまはそれをあえてなさったのか、なぜ、それを自分たちがそれを理解できないのか、そういう視点が大切のように思われます。

 もっともかく言う私だって、自分で気がつかないだけで、同じかもしれません。

 だから、いつかこの世の終わりがやってきてイエス様にお目にかかる日が来たら、ここはどういう意味ですか、あそこはどういう意味ですか、と質問攻めにしたいと思っていて、その日が来ることを心から楽しみにしているのです。

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