ヨハネ福音書12:12黙想


 表題の聖書箇所はギリシャ人がイエス様に面会を申し込んだ、という記事です。

 しかし、聖書はわざわざ「ガリラヤのベトサイダ出身の」フィリポに申し込んだ、と断っています。

 しかも、フィリポは同じ町出身で、一番弟子であるペテロの兄弟のアンデレに相談したうえで、その面会申し込みをイエス様に取り次ぎます。

 なぜ、ギリシャ人の側も、フィリポやアンデレの側もそんなに慎重に対応したのか、なにか奇妙な感じがします。

 また、なぜ「ガリラヤのベトサイダ出身の」なのでしょうか。

 例えばエルサレムやその周辺の町出身の人たちではダメだったのでしょうか。

 そこで思い出したのが、当時のユダヤ人が異邦人との交際を穢れと考えていた、ということです。

 おそらく、イエス様の周りを固めていた多くのユダヤ人の弟子たちは、ギリシャ人と口を聞くことさえ避けていたのでしょう。

 だから、ギリシャ人たちは、自分たちと話をしてくれるお弟子を捜し回った挙げ句に、やっと当時の辺境の地であり、日常的に異邦人に接しながら暮らしていた「ガリラヤのベトサイダ出身の」お弟子を見つけ出した、ということだと思います。

 そして、そうした理解に立つと、その直後のイエス様の発言が異邦人伝道の宣言であるという理解になります。

 つまり、死なずに一粒のままで残った麦粒はアブラハムに与えられた救済の約束が、そのままユダヤ人の中にのみとどまる、という意味であり、死んで多くの実を結ぶというのは、異邦人を含めたすべての民に救済が及ぶ、ということだと読めるのです。

 そういう読みが適切かどうかはイエス様のみが知っていることですが、恵みをちょっとだけ増し加える読みのように思われるので、ここに書き記しました。

 

この記事へのコメント

Tam
2019年03月15日 14:49
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Kimberly
2019年04月11日 19:10
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