変えてはいけない~「ニーバーの祈り」について

 ニーバーの祈り、といわれる以下のような有名な祈りがあります。(Wikiより引用)

 「神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
  変えるべきものを変える勇気を、
  そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。」

 とても心に沁みる祈りですが、その一方でいわく言いがたい違和感も感じていました。

 そして、最近、やっと気がついたのです。

 「変えることのできるもの」も「変えるべきもの」も存在しないのです。

 なぜなら、この世のすべてのものは父なる神さまの天地創造の業であり、それ自体には何一つ不足しているものはないし、変える必要もないからです。

 そして、だからこそ人間はそれを「耕し、守る」ことしか許されていないのです。

 イエス様があえて石をパンになさらなかったのは、子なる神さまが父なる神さまのなさった創造の業を否定したり、改変してはならないからです。

 ところが、悪しき霊に突き動かされた人間(ほとんどは男性でした)が、神さまのお作りになった世界(人間を含みます)を一生懸命に作り替えてし、台無しにしてしまいました。

 だから、もし人間に許された「変えること」があり得るとすれば、神さまがお作りになった元の世界に戻す働き、つまり悔い改めと癒やしの業だけです。

 もし、神さまの天地創造の業の完全無欠を信じ、そして今はただ8日目の裁きの日に備えて安息されている神さまを真に畏れるならば、祈って願い求めるまでもなく、「区別」は明らかなのです。

 そして、祈り求めべきは、聖霊なる神です。

 ニーバーさんは米国の有名な神学者だそうですが、いつか天国に行ったら、そのあたりをどのように考えてこの祈りをお書きになったのか、聞いてみたいと思っています。

称名寺の彼岸花



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