憂鬱な話

 先日、ある会合で、あちこちの労働裁判を何年も戦っている人たちのアピールを伺いました。

 労働者の基本的人権の侵害、という言葉が何度も語られました。

 神を失い、偶像崇拝をも失った人たちは、自分を拝むしかないんだなぁ、とふと思って、考え込んでしまいました。

 戦後に偶像崇拝の悪夢から目覚めた人たちは教会に殺到しました。

 その人たちは自分を拝んでも救われないことを実感していたんでしょう。

 あまりに悲惨な現実が目の前にあったから?

 しかし、ある時期を境に教会に人が集まらなくなりました。

 それは、その後の時代の中で自分を拝むことの幻想を誰かがばらまいたから。

 自分を拝み、自分の力で頑張れば、基本的人権を実現し、経済成長と所得増加が実現すると説き伏せられたから?

 そして一度だけ良い夢を見せてもらえたから?

 なのに、自民党の総裁選挙の演説会では、むなしい夢を語り続けている。

 自分を拝むことは、この世を拝むことに他ならない、そして、そこに悪魔の働きという「広い門」があるというのに。

 古い昭和歌謡ではありませんが、右も左も馬鹿ばっか。

 愚考するにイエス様は右も左も、それぞれの罪から一度に救い出そうとなさったんだと思うんですが、それゆえ右にも左にも敵対的で危険な人物と評価されたに違いありません。

 そしてその結果、日頃は仲の悪かった左派のファリサイ派と右派の大祭司とサドカイ派の反イエス共闘が成立したし、同様にピラトとヘロデ・アンティパスの関係が回復された。

 だから、キリスト者は右と左を同じように、正しく批判しなければいけないし、どちらに協力してはならない。

 ただただ、神さまという大きな愛を宣べ伝え、祈ることが勤めなんだと思います。

 そんなことを考えながら、ちょっと憂鬱な気分です。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック