「出エジプトの民とは誰か」CS中高科説教(2018年9月9日)



今日のお話のテーマは、出エジプトの民とは私たちのことだ、ということです。

1 今日の日本で「追い使われる」者とは

 さて、毎月末になると完全失業者が何万人、失業率は何パーセントというニュースが流れるのを皆さんは聞いたことがあると思います。

 この数字の出典は労働力調査という総務省の統計調査で、昭和21年から行なわれている歴史ある統計調査ですが、この調査は実は昭和59年から雇用者のうち正規と非正規の調査を行なっているのです。

 雇用者というのは、誰かに雇われて、賃金を貰って働く人のことです。

 そのうち、正規と非正規というのはざっくり言うと正社員とパート・アルバイトの別だと考えてください。

 さて、正規と非正規の調査が始まった昭和59年、1984年、いまから34年前、その時点で非正規労働者は全体の15%という水準でした。

 しかし、今年の1~3月期平均では、その割合は38%で約4割、倍以上になっています。

 また、この34年間で雇用者全体は1,600万人ほど増えているのですが、その内訳を見ると、非正規労働者が1,500万人と増加分の95%を占めています。

つまり、日本の社会はここ34年間で非正規労働者、すなわちパート・アルバイトだけを増やしてきた、ということです。

 では、なぜ非正規労働者ばかりを創り出してきたか、というとコストが安いからです。

 正社員を一人、雇って一日8時間、働かせるより、パートを二人雇って、4時間ずつ働かせる方が、だいたい2割くらい安上がりです。

 しかも、曜日や季節の関係で閑なときには、適当にシフトを減らして人件費を最小限に抑えることもできますし、景気の動向に伴って比較的簡単にクビにできます。

 働く人の内の約4割の人たちが安い賃金で、しかも不安定な身分で働かされている、というのは、エジプト人の元で奴隷労働に従っていたイスラエルの民と同じである、というのが私の考えです。

 また、今日の非正規労働者の中には低賃金のゆえに結婚して、子供を授かることを諦めている人たちも沢山います。

 生まれてきた男の子を殺すように強制されたイスラエルの民は、女の子なら産み育てることが許されていたと言うことでもあります。

しかし、家庭を持ち、子供を授かることを最初から諦めている現代の日本の人たちのことを思うとき、出エジプトの民とは私たちのことだと、確信せざるを得ません。

 しかし、イスラエルの民が全員、苦難と絶望の中にいたのか、というと、意外とそうでもなかったと思います。

 もちろん、全体として貧しい、苦しい人たちが多かったとは思いますが、その中でも、同胞の上に立って、エジプト人と協力しながら、時には積極的に、時には消極的に同胞の搾取に手を貸して、そこそこの暮らしをしていたイスラエルの人たちも一定の割合でいたはずだと思うのです。

 ひょっとすると、イスラエルの民の半分くらいはそういう人たちだったかもしれませんね。

 厳しい圧政の中でも人口が増えていったと聖書には書かれていますが、その背後には、ある程度裕福で安定した暮らし向きの人たちも、相当数いたと言うことの証拠だと思うのです。

 また、エジプト人に暴行されている同胞を助けようとして、力余って人殺しをしてしまったモーセが、結局、同胞からの保護を得られずに逃げ出していったことも、そうした民族内に貧富の格差や対立があったことを証明していると思います。

 だから、イスラエルの民が一致団結してエジプトを出てきた後を、ファラオの軍隊が追いかけてくるのを見て最初にモーセに文句を言ったのは、この相対的に豊かな人達だったと思うんです。

 今日の聖書箇所で言うと、14章10節の終わりから12節を見るとその辺の事情が手に取るように見えてくるような気がします、ちょっと読んでみますね。

イスラエルの人々は非常に恐れて主に向かって叫び、また、モーセに言った。「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。 我々はエジプトで、『ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです』と言ったではありませんか。」

 聖書ってホント面白いですね。

 我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですかって、文句を言うんですね。

 自分の住む家はおろか、先祖伝来の墓にも入れてもらえないような人たちと一緒にしないで下さい、私たちみたいに一生懸命働いて、子供を育て、孫を膝に抱いてのんびりテレビを見ているような普通の人が、なんで、あんなホームレスみたいな連中と一緒に死ななければならないんですか、って言うわけですね。

 しかし、日本の4割の非正規労働者を生み出したのが残り6割の正規労働者であったように、イスラエルの同胞の貧困を創り出したはまさに彼らであったはずです。

 そして、いざ生きるか死ぬかのピンチになると自分が可愛くなって、追い使われて苦しんでいた同胞のことも、また、その人たちのために働いているモーセや神さまのこともどうでも良くなっちゃうんですね。

 聖書って、ホント、涙が出るくらい、面白いですよね。


2 なぜ罪人を連れて行くのか

 さて、ここで一つの疑問が湧いてきます。

 なぜ、神さまはこういう高慢でわがままな、自己中心的な人たちを含めて、イスラエルの民全員を引き連れて行ったか、という点です。

 別の言い方をすると、何があっても神さまを信じて、従い続けるような、謙遜な人たちだけを選び出して、連れて行くことだって神さまにはできたはずです。

 なぜ、そうなさらなかったか。

 そのことについて、一つの考え方としては、金持ちだろうが貧乏人だろうが、すべての人は罪人であって、神さまの前では同じであったから、という考え方もあり得ると思います。

 なるほど、それも間違いではない。

もし、自分だけが救われれば良いんだというなら、そういうざっくりした、ある意味、十把一絡げみたいな考え方でもいいだろうと思います。

 しかし、私としてはその考え方を、あえて排除したいと思うのです。

 なぜかというと、そういう考え方は神さまの天地創造の業を軽んじているからです。

 むしろ、神さまは、貧富の差が拡大する今日の世界じゅうの人々、そしてかつての出エジプトの民のような人々、そういう、矛盾と対立をはらんだ群れとして世界をお作りになったし、だからこそ、あえてそのまま引き連れていって、一挙に救いと祝福に入れようとしているのだと、考えたいのです。

 実は、先日、ドイツの神学者のモルトマンという人の本を読んだんです。

 その中で、神さまはユダヤ人を虐殺したヒットラーやナチスの人々と、殺されたユダヤ人の両方に正しい裁きを行い、そしてそれらの人たちを一挙に救おうとされている、という趣旨のことが書かれていたんです。

 私は、その話を読んだときには心底、驚きましたが、よくよく考えると、神さまにおできにならないことがないなら、私たちには信じられないような救いを実現することもおできになるはずなんです。

 今日の聖書箇所は、背後から追撃してくるファラオの軍隊から逃れるために、神さまが海を二つに分けたという、信じられないようなお話です。

 さらに、それから1,000年の間に神さまが同じような、様々な、信じられないような業をなされた、と聖書は記録しています。

 そして、最後には神さまは、そのひとり子をこの世に送ってくださり、しかも十字架にかけて殺してしまわれました。

 なんて薄情で残酷な神サマ!という感じですし、おそらくイエス様に従っていた人たちは、ついに世界の終わりがやってきた、神さまがやってきて空と大地と、太陽と月と、そして最後に世界中の人々を裁きの座に引き出して滅ぼしてしまうに違いない、と思ったはずです。

しかし、神さまはこの世を滅ぼすどころか、死んで墓に葬られたイエス様を、新たな肉体を伴った存在として復活させて、私たちの救い主とされたんです。

 まったく、神さまのなさることは、無茶苦茶で不条理で、ことごとく私たちの予想を裏切ってしまわれるけれど、でも、ちゃんと素晴らしい業を見せてくださいました。

 だから、ナチスと、その犠牲になったユダヤ人たちを一挙に救うことだっておできになると、信ずることができるんです。


3 神さまの業を待ち望む

 そういうことを踏まえて改めて、今日の聖書箇所の14節、モーセの言葉、「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」を読むと、初めてそのホントの意味が分かると思います。

 この時点ではモーセにも、神さまが何をなさろうとしているのか予想もつかなかっただろうと思います。

 しかし、彼には神さまが無茶苦茶なこともなさるけど、ちゃんと最後にはすべての人を一挙に救うことがおできになる、という確信はあったんだと思います。

 もちろん、追撃してきたファラオの軍隊はこのときには海に呑まれて全滅してしまうのですが、その人たちも含めて、神さまが救ってくださるということは確実であり、信ずるに足ることです。

 なぜかというと、神さまにおできにならないことは、何一つないからであり、その救いの御手の指の間からからこぼれ落ちるような人を創り出すはずがないからです。

 この世の対立や矛盾はどんな時代にもあるでしょうし、個人的にも神さまの不条理のゆえに苦しむことがあると思います。

しかし、私たちが出エジプトの民と同じである、いや、私たちこそ出エジプトの民として神さまがともにおられ、導いてくださっている、という認識に立つとき、私たちには必ずや、あっと驚くような解決の道が備えられていると確信することができるのだと思います。

 だから、私たちもモーセの言葉に従って、今、まさに神さまが働こう、大きな業を見せてくださろうとしていることを信じ、日々を歩ませていただきたいと思います。

祈ります。

 天にまします恵み深き神さま

 今朝、神さまは、私たちが出エジプトの民であるという認識を与えて下さいました。

 どうか私たちが神さまを信じ、絶えず希望を持って、祈り、喜びながら終わりの日の救いの成就に向かって歩んでいけるように、導いてください。

 どんなときにも、神さまが必要なものを備えて下さることを信じながら、歩ませてください。

 この一言の祈り、御子イエス様の御名を通してお献げます。

*参考に労働力調査の数字をお示しします。

労働力調査


この記事へのコメント

この記事へのトラックバック