三位一体の視覚的イメージについて



 イエス様は、福音書の中で受難と復活を繰り返し予告されています。

 しかし、受難を予告すること、と、復活を予告することは全く違うことだと思います。

 受難の予告とは、イエス様の意思と主体性において選択した死に様の予告です。

 しかし、復活の予告とは、父なる神さまの約束の伝達です。

 端的に言うと、受難の予告とはイエス様自らの意思と覚悟を公に言い表すこと、復活の予告とは神さまの約束を公に言い表すことです。

 そして、そのように考えると、復活を与えるのは全能の神さまであり、イエス様は墓と黄泉の中で復活を待つ、無力で無能な存在であるということに気づきます。

 つまり、父なる神と子なる救い主として一体でありながら、父と子としての位階(ペルソナ)においては深い溝を挟んで矛盾し対立する存在であると言うことです。

 私は、三位一体について三つの位階(ペルソナ)が正三角形の頂点に位置して、その中心に「愛」があるような、いわば視覚的なモデルのイメージを持っていました。

 しかし、父と子について上記のように理解した場合に、聖霊の位置をどのように思い描くべきでしょうか。

 ひょっとすると正三角形ではなく、父→子→聖霊→罪人という直線的なモデルで理解すべきでしょうか。

 天地創造から終末までの直線的な聖書の歴史理解から言うと、それも妥当なモデルかもしれません。

 あるいは「霊は愛」というガラテヤ5:22を踏まえるなら、父→聖霊←子のモデルを描いて、聖霊から下向きの矢印が罪人に達する、というイメージかもしれません。

 十字架を見上げるならば、その方が妥当かもしれません。
 
 父と子との対立を弁証法的に解消する聖霊の働きによって罪人が御国に招かれるということかもしれません。

 新たな疑問に感謝したいと思います。


うちのベランダからのシジュウカラ

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