キリストはエボリで止まった

 カルロ・レーヴィ「キリストはエボリで止まった」(岩波文庫)を読みました。

 内容は、ファシスト政権下の1935年からほぼ1年間にわたって南イタリアの寒村に滞在した著者の目に映った前近代的な村の暮らしや人々の物語です。

 この衝撃的なタイトルは、本書の冒頭にいきなり飛び出してきて、文明や救済はこの寒村にはやってこなかった、という寒村の人々の怨嗟の言葉であることが示されます。

岩波文庫「キリストはエボリで止まった」表紙


 この本を読むきっかけはブローデルの「地中海」で、その結論部分で言及があったからです。

 「地中海」では膨大な文献について言及や参照がありますが、同時代の文学作品についての言及は、記憶にあるかぎりおそらくこの本だけだと思います。

 そんなわけでこの本を読んでみたのですが、そこに描かれている世界は、「地中海」の冒頭の部分に描かれている何世紀にもわたって変化しない、あたかも地中海世界の「構造」のような暮らしと人々なのです。

 「地中海」は歴史を「構造」、「長期持続」、「出来事」の三層からなるものとして描写して、20世紀の歴史観に大きな変化を与えました。

 その中で、もっとも基底となる「構造」の概念の意味を、レーヴィのこの本は実感させてくれます。

 よく言われることですが、ブローデルが「地中海」で示した「構造」は、レヴィ・ストロースなどの構造主義者の言う「構造」、調査や研究から抽象された観念ではありません。

 むしろブローデル自身がこ古文書の中で、また、自らがおもむいた北アフリカやブラジルやバルカン半島、そしておそらく捕虜収容所で見いだした人々の暮らしぶりと気持、どこへ行っても変わらない、また、いつの時代も変わらない、貧困と困窮と抑圧の中にある人々の暮らしぶり、彼はそれを「構造」と呼んだということが、このレーヴィの著作を読むことで実感できるのです。

 実は、「地中海」にはどこか悲観的で無力感が漂っているところがありますが、その理由を垣間見ることができたような気もします。

 「地中海」のサイドデキストとしても、また、社会と歴史のありさまを考える参考としても、ぜひご一読をお奨めします。


 

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